江戸時代の黄表紙(時代世話二挺鼓)


「万華鏡の歴史」にも書いたように万華鏡の発明は1816年、
江戸時代に万華鏡があるわけないじゃない?と思いますよね。

そう、今回は本当の意味での万華鏡ではなく、ドラゴンフライ
(プリズムレンズで見るものを多くに分割してみるもの)
の話です。

このドラゴンフライを日本では、「八角眼鏡」、「将門眼鏡」、
「タコタコ眼鏡」などと呼んで、親しんできました。

このうち「タコタコ眼鏡」は以前に紹介しましたので、
今回は「八角眼鏡」、「将門眼鏡」の紹介です。

上の絵は、山東京伝(1761-1816)作の黄表紙
「時代世話二挺鼓」の1ページです。

天明8年(1788年)作のこの作品(歌麿呂門人行磨呂画、
蔦屋重三郎刊)は、当時の松平定信による政治改革、
田沼意次失脚を風刺した、作品だそうですが、

この二人を藤原秀郷(松平定信)と平将門(田沼意次)
に置き換えて、お上を刺激しないように書いています。

この話では八角眼鏡が登場しましが、黄表紙に登場する
ということは、当時多くの人が八角眼鏡(ドラゴンフライ)を
知っていたということです、
もちろん実物を見たことがありかどうかは別ですが。

また、ドラゴンフライは一人の人物を多くに分身させて
見せますので、将門の影武者との連想から将門眼鏡とも
呼ばれていたようです。

この時代には、社会的にも安定していたのもあってか、
ガラスレンズが一般に普及し始めます。

山東京伝には1796年「人心鏡写絵」という黄表紙もあり、
この話では、覗くと人の心まで見通す事ができるという
眼鏡まで登場します。

この時代にもSFはあったんですね。・・・


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