『闇夜の灯火−5』

 

そこから先は、悲しいだけの道中だった。
誰も一言もいわず、ただ山道を歩いた。
突然行く手に暗い怨念の気配がした。
「こんなときまで怨霊退治か!」
吐き捨てるように叫んで、怒りをあらわに怨霊と対峙した景虎は、その場に凍りついたように立ちすくんだ。

「どうしたのだ? 景虎殿?」
問いかけた色部たちに、硬い声で直江が答えた。
「良元殿…。あの怨霊は良元殿に違いない。殺されて怨霊になってしまったのだ…。」
あの良元が。無念の思いでこんな姿になってしまったのだ。
「良元殿! 私だ。三郎次だ。わからぬか!」
怨霊になってしまったものには、語りかけても通じはしない。
そう知っていても、言わずにはいられなかった。

「子供たち。帰らせてくれ。帰らねばならぬ。帰らねばならぬ。」
良元の霊から、暗い念が立ち昇る。
帰らねばならぬ。帰らねば…。
その言葉を繰り返しながら、霊は抑えきれない怒りをぶつけるように攻撃してきた。
「良元殿!」
激しく吹き荒れる念が、5人に襲いかかる。

護身壁で遮ったが、こちらから反撃するのは躊躇われた。
「良元殿。わかってくれ! もうあなたは死んでしまったのだ。もう帰れない。帰ってもあの子達を守ってはやれない! こんなことをしても何もならないんだ…。」
わかっている。良元はなりたくてこうなったのではない。
けれど、いくらそれがわかっていても、このままにしておくことはできなかった。
この地に生きる人々のためにも、良元のためにも。
悪いのは良元ではない。良元を殺したものなのだ。子供たちを殺したものなのだ。
怒りが込み上げる。運命と呼ばれるものへの、やり場のない怒りが。

それでも、今の良元をこの苦しみから解放してやれるのは、調伏しかないと思った。
「景虎さま。あなたが解放してやって下さい。良元殿に調伏を!」
「直江…。」
この男も同じ思いなのだ。退治するのではない。解放するのだ。
かつて自分も味わった、あの終わらない悲しみから…。
「バイ!」
良元の霊が動きを止めた。
どうか彼に安らぎを!
「調伏!」
良元が白い光に吸いこまれる瞬間、あの美しい笛の調べが聞こえた気がした。

「景虎ぎみ。あそこの木の陰にこれが。」
晴家が差し出したのは、良元の笛だった。
大切に懐にしまって、また山道を歩き始めた。
歩いていくしかないのだ。悲しみも苦しみもこの先にまだ限りなくあるに違いない。
だが、小さな喜びも、この先のどこかにあるのだ。そう信じていよう。
良元の笑顔と子供たちの笑顔は、心の中に消えずにある。
今はまだ、胸が痛んで見えないけれど。それでも忘れたくはない。確かなあの温もりを。

その後ふとした偶然で、景虎と直江は、あの庵にいた子供のひとりと再会した。
「三郎次さん! 三郎次さんでしょう?」
懐かしそうに声をかけてくれた男の子は、庵の前で灯火がわりの炭を提げていた子だった。
ずっと大切に持っていた良元の笛を渡すと、男の子は涙を浮かべて微笑んだ。
「そうでしたか。良元さまは、おれたちのところへ帰ろうとして下さってたんですね。」

月の暗い夜は、いつも灯火がわりに火のついた炭を振ったのだと、懐かしそうに彼は言った。
山賊に襲われる前の晩、良元は帰ってこなかった。
「どうして帰ってくれなかったのかと、恨みに思ったこともありました。でも帰れなかったのだと、思ってもいたんです。わかってよかった。…良元さま…。」
ぽろぽろ涙がこぼれた。辛い想い出と幸せな想い出が、一緒に思い出される。
やがて涙をぬぐって顔を上げると、澄んだ瞳で二人を見上げた。

「ありがとうございました。おれも良元さまみたいな男になります! 生き残った仲間と、ずっとそういってやってきたんです。 今度はこの笛をおれが吹くんだ!」
そう言ってにっこり笑った。
「よし! しっかり頑張るんだぞ!」
手を振って見送る少年は、少し大人の顔をしていた。

闇の中でも消えない灯火を、心に灯して生きていこう。
大切な温もりを、忘れずにいよう。
そうすれば、きっと闇夜でも迷わずに帰れる。
自分の帰るべき場所に。そこに在りたいと願うところに。

                        2004年10月28日

 

 

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