『海幸・山幸』

 春休みが終わり、黄金週間にはまだ遠いそんなある日。
直江と高耶は、紀伊半島の白浜町に来ていた。
「あ、ほら、高耶さん。パンダがあんなところで遊んでますよ。かわいいですねえ。」
そう言って立ち止まった直江の声に、思わず振り返った。
「ん? どこ・・ははは。そんなとこにいると転がっちまうぞ。・・ってそんなこと言ってる場合じゃねえだろっ! はやくあいつを探さなきゃ。」
赤ちゃんパンダについ見とれてしまったが、ここアドベンチャーランドに来たのは遊ぶ為ではなかった。ある人を追ってきたのだ。
「全くなんだってこんなところまで来たんだ、あいつは。」
サファリとマリンワールド、遊園地が一体になっただけあって、広大な敷地の全てを探すのは大変な作業だ。
霊査しようにも気が散ってうまくできない。
「慌てなくても大丈夫ですよ。子供じゃないんですから。」
「だから心配なんだっ!」
声を荒げてしまってから、高耶は目を伏せた。
そんな高耶に、直江は優しく微笑んだ。
「大丈夫。美弥さんはすぐ見つかります。」
大きな手に肩を抱かれると、なんだか本当にすぐ見つかる気がした。

そう。探している相手は美弥なのだ。
(メル友だなんて、まさか騙されてるんじゃねえだろうな。)
顔も見た事のない相手と、こんな遠くで会うという。
心配で大反対した高耶に
「そんな人じゃないもん! お兄ちゃんのばか!!」
それっきり口も聞かずケンカ状態で美弥は行ってしまった。それを追いかけてきたのだ。
(確かに名前は女だったけど…けどもし違ったらどうすんだよ・・)
せめて相手を見ないと安心できない。
と、ふと我に返った。妙に視線を集めているような・・?
「ば…直江っ・・いつまでやってんだ。離れろ。」
赤くなって肩の手を振り払った。そのままズンズン歩いていく。
直江は名残惜しげに、触れていた右手を胸に当てると、足早に後を追った。

やっと美弥を見つけたのは、オルカショーの出口だった。
「お兄ちゃん! 直江さんまで・・。」
「お、おう。偶然だな。」
「偶然って…。」
あまりにも下手な嘘に、笑うしかない。
「あのう。美弥さんのお兄さんですか?」
おずおず問いかけたのは、年上のかわいらしい女性だった。
「初めまして。私、美香といいます。こんな所まで来て頂いて・・御心配おかけしてすみません。あの・・あの・・お会いできて嬉しいです!」
当たり前だが嘘はすっかりバレている。
目を輝かせてにこにこ笑っている美香は、間違いなくいい人そのもので、高耶は安心すると同時に、疑ったことを申し訳なく思った。
「ほらね、言った通りでしょ?」
美弥が隣で声に出さずに口だけ動かして言っている。
頷く高耶をみて、美弥はエッヘンと胸を張ると、嬉しそうに笑った。

「もしよかったら、お兄さん達もうちへ泊まっていきませんか。なんもないですけど、ゆっくりしてってください。」
いくらなんでもそんなわけにはいかない。断わろうとした時、
「ありがとうございます。でも私たちは龍神温泉に予約していますので。」
直江がさらっと言った。驚いたのは高耶だ。そんなことまるで聞いてない。
「ホントに予約してんのか?」
小さく囁くと、
「しっ・・美香さんに聞こえます。」
直江はそっと耳打ちした。答えは聞けないままだ。
「じゃあせめて白浜を案内させてください。とってもいいところがあるんです。」
熱心に、でもけっして押し付けはしない。
初対面なのに、まるで一緒にいることが楽しくてたまらないというように、親しみを込めて接してくれる。あたたかい心遣いが嬉しかった。
「じゃあ、少しだけ。お願いします。」

直江の車を駐車場に残して、美香の運転で白浜をまわる。
「本当なら三段壁や千畳敷も見て欲しいとこなんですけど、あんまり時間ないから、一ヶ所だけにしますね。」
丘を降り、海岸沿いを走ると、右手にヨーロッパのお城のような建物が見えた。
「あれはホテルなんです。バブルの頃に建てられたから贅沢な造りやし、中もすごく豪華で美術館みたいなんやって。」
「へええ。見てみたいけど高そう〜。」
「うちも行ったことないんよ。一回泊まってみたいんやけどねえ。」
だんだん和歌山弁が混じるようになって、ますます気さくで暖かな人柄が楽しい。
左手にはホテルや保養所が建ち並び、砂浜の向こうには青い海原が広がる。明るい日差しが南国を感じさせた。
「南方熊楠って御存知ですか?」
突然の問いかけに答えたのは、やはり直江だった。
「ええ。粘菌の研究で知られてますよね。昭和天皇とも親交があったとか・・。」
美弥は尊敬の眼差しで直江を見ている。高耶は黙って聞いていた。
「ここに記念館があるんです。」
そう言うと、開いている門の奥に入り、美香は駐車場に車を止めた。

番所崎公園と呼ばれる小高い丘の上にある記念館は、坂道が植物園のようになっている。
木々には名前を書いたプレートが掛けられ、初めて見る植物もあって面白い。
記念館は頂上にあった。止める暇もなく入り口で人数分の入館料を払うと、
「ここのテッペンから見る景色は、ホンマに綺麗なんよ。」
にっこり笑ってパンフと入場券を手渡してくれた。
興奮すると和歌山弁になるらしい。
好奇心で瞳を輝かせて階段を上がる美弥から少し遅れて、高耶は階段を上がった。
「どうかしましたか? 高耶さん。」
隣に並んで、直江が声をかけた。
「いや。なんでもない。」
なんでもないようには見えなかったが、気分が悪いのでもなさそうで、直江はそれ以上なにも言わず、ただ静かに見守っていた。

2階と3階が資料の展示室になっている。
和漢三才図会の前で高耶は立ち止まってじっと見つめていた。
「懐かしいですか。」
問いかけた直江を見上げて、高耶が微笑んだ。
「お前は? お前も読んだんだろう?」
「ええ。内容はもう忘れてしまいましたが。…知っていたんですね、南方熊楠。」
しばらく黙って資料を眺めて、ようやく高耶が口を開いた。
「会いたいと思っていた。」
会って話をしてみたかった。十ヶ国語を話し、自然を愛し人間を愛した博物学者。
権威など怖れない熱い魂を持った彼は、この世界をどう思っていたのだろう。
「この人とあなたなら、きっと色々な話が出来たでしょうね。」
直江は遠くを見るような目をしていた。
熊楠と景虎は似ている。どこまでも真理を求める探求心、なにものにも屈しない強い精神。
会えばきっとお互いに得るものがあっただろう。

屋上にあがると、視界が360度の素晴らしい眺めが広がっていた。
どこまでも続く青い海、はるか沖を群青の黒潮が流れている。
田辺湾側には神島をはじめ緑の島々が浮かび、その向こうには田辺の町と天神崎が見える。
ぐるりと廻って白浜の町の奥は山が連なり、ずっと奥まで霞むように熊野の山々が続く。
「見晴らしいいでしょう? 私のお気に入りなんです。」
「ホントに綺麗! 美香さん、私、来てよかったよ。」
美弥が満面の笑顔で答えた。松本からここまで、ひとりで遠い遠い旅をして、美弥は美香に会いに来たのだ。
そして信じたとおりの友に会い、長野にはない広い海をみている。
その気持ちのすべてが、この言葉に込められていた。
「美香さん、ありがとう。」
高耶が感謝を込めて言った。
「まだまだいいところ、いっぱいあるんですよ。海のすぐそばの崎の湯とか、千畳敷とか。」
赤くなって照れ隠しのように早口で言うと、美香は嬉しそうに微笑んだ。
 車で道路に出ると、すぐそばに円月島が見えた。車を路肩に寄せ、記念写真を撮る。
「春分と秋分の頃には、ちょうどこの丸く開いたところに夕陽が落ちるんです。」
そういえば夕陽百選の写真で見た事があった。それがこんな普通の道路のすぐ近くにポンとなにげなくあるあたりが、このどこかのんびりした土地に似合っている気がした。

「じゃあ、遅くなると龍神につくの夜中になってしまうから・・」
名残惜しそうに美香が別れを口にした。
「美香さん、本当にありがとうございました。」
直江が手を差し出した。やわらかい手を包み込むように握手して微笑む。
「ごやっかいおかけしてすみません。美弥のこと、よろしくお願いします。」
同じように高耶も握手して、
「じゃあな、美弥。気をつけて帰ってくるんだぞ。美香さんにあんまり世話かけるなよ。」
「うん。わかってる。お兄ちゃん達も気をつけてね。」
バイバイと手を振って、直江の車に乗り込んだ。
振り向くと、まだふたりが手を振っている。もう一度だけ手を振って、高耶は前を向いた。

車は田辺から29号線で本当に龍神温泉へ向っていた。
「いつのまに予約したんだ?」
「あなたから美弥さんが白浜に行くと聞いた日です。いけませんでしたか?」
「いや、いい…。」
いつもながら、手回しの良さに感心する。
高耶が美弥を追いかけることなど、初めからわかっていたのだ。
直江がオレをよく知っているのか、オレが単純なのか…。
複雑な気分でちらりと見ると、直江がこちらを見て微笑んだ。
奇絶峡と呼ばれるこのあたりは、桜と見事な紅葉で知られる景勝地だ。
今はもちろん木々は緑だが、会津川の流れと様々な形の巨岩が創り出す風景が美しい。
ひとつカーブを曲がるたびにどんどん山が深くなり、やがて龍神街道へと入っていた。
最近は道路も整備されて便利になったとはいえ、ここまで来るには時間がかかる。
宿に着く頃にはもうとっくに日が暮れ、玄関の明かりが懐かしく感じられた。

ここは昔徳川頼宣が建てた御殿で、以来紀州の殿様の定宿となっただけあって、今の建物は明治に建て替えられたものだったが、凛として落ち着いた風情を漂わせている。
案内してくれた仲居さんがお茶を入れて立ち去ると、高耶はそのままごろんと寝転んで目を閉じた。
畳のにおいがする。清々しい山の空気が部屋の中にまで流れているようだ。
「浴衣に着替えて風呂にいきませんか。」
誘う声に目を開けて起き上がると、浴衣を着た直江が窓際に立っていた。
なんということのない旅館の浴衣も、直江が着ると違って見える。
外を眺める姿に思わず見とれてしまって、高耶は慌てて浴衣に着替えた。
「ああ・・ちゃんと着ないとはだけてしまいますよ。」
「いいって。どうせすぐ脱ぐんだし。」

てきとうに巻きつけた浴衣からしなやかな体がのぞくのが、裸でいるより妙に色っぽくて目のやり場に困る。
そんな直江の気持ちも知らず、上機嫌で廊下を歩いて風呂に行くと、
「もう一緒の湯に入れねえなんて言わないよな。」
といたずらっぽく笑った。
「もちろん、お背中だけ流させて頂きます。」
言ったとたんに高耶の顔が曇った。
「冗談ですよ、一緒に入ります。」
「ば・・っかやろ。ウケねえぞ、そんなの。」
ぷいと横を向いてしまった高耶を、いきなり抱き寄せてくちづけた。
「…誰か来たらどうす…ン…んん。」
大浴場は当然貸切ではない。
たまたま誰もいないのをいいことに浴衣を脱がしにかかる直江を押しのけて、高耶は上気した顔で荒く息をつくと、ぱぱっと裸になって浴場に飛びこんだ。

温泉の柔らかい湯がしっとりと肌になじんで、胸の動悸をゆっくりと鎮めていく。
少しすると直江が入ってきて隣に並んだ。
顔の半分までお湯につかって目だけ向けると、直江は涼しい顔でのんびりと湯につかっている。
目が合って、直江がにっこり微笑んだ。
これで何度目だ? まるでオレだけ子供みたいな気分になるのは。
またしても抱きしめようとする直江に、
「ダメだ、触るな。」と突っぱねると、
「どうして?」直江が甘くささやく。
「…」
頭のてっぺんまで湯につかって、ざあっと上がった。
このままいると、流されそうで怖い。
でもそんな事を言うと、きっとますます甘く絡んでくるのに決まっている。
「腹減った。メシにしよう。」
「そうですね。」
直江は逆らわずに風呂から上がった。

どうやら既に言ってあったらしく、部屋に帰るとすぐに夕食が運ばれてきた。
山の幸や川魚が次々と出て、どれもとびきり美味しい。
すっかり満足して、ふかふかの布団に寝転んでう〜んと手足を伸ばす。
地酒のほろ酔いかげんが心地いい。
「ここの露天風呂は貸切なんです。後で行って見ませんか?」
高耶は無言で直江をじっと見つめた。
「手を出しちゃいけませんか」
直江が上から覆いかぶさるようにして瞳を覗き込んだ。
そっと近づいてくる唇を、高耶は拒まなかった。
この心のままに、流されるのも悪くない。
甘いくちづけを何度も重ねて、しだいに熱く深くなってゆく想いに身をゆだねる。
障子からさしこむ灯りがやわらかくふたりを照らしていた。

露天風呂は川のすぐ脇で、ふたりは川のせせらぎを聴きながら星を見上げた。
冴えた夜の空気が気持ち良くて、ずっと入っていてものぼせない。
シーズンオフだからこその贅沢な時間。
白浜の海と龍神の山。
その幸を心と体いっぱいに満たして、やがて眠りにおちてゆく。
明日目覚めたら、新しい朝と共に帰ろう。
俺たちの家に…。

 
2004年4月23日     by 桜木かよ

キリバン2200でメイシャンさんに差上げたものです。
地域密着型のふたりのストーリーという御希望に添えたかどうか・・(汗)
書いてるうちに夢中になっちゃって、こんな長くなっちゃったの。ごめんなさい〜

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