とまどいのゆくえ

夕闇が深い夜を連れてくる。
そんな時間に、直江は高耶の部屋に向っていた。
ふたりっきりでいたい。
そんな願いは、このところずっとかなえられずにいた。

赤鯨衆や上杉をはじめとする闇戦国の面々、成仏できない霊や、思い悩む生き人。
高耶を求める人々の多さは相変わらずで、彼のプライベートな時間は本当に少ない。
「たまには来なくてもいいじゃないか。」
そう言いたくても言えない。
なんといっても、高耶が嫌がっていないのだから。
「今日こそはふたりっきりで過ごす。誰にも邪魔などさせるものか。」
そう決意して部屋をノックした。

カチャッとドアが開いて顔を出したのは、千秋だった。
「どうしてお前がここにいるんだ。」
思わず言ってから気付いた。
そういえば先日、高耶が千秋にメシを食べさせる約束をしたのだ。
それが今日だったのか。

「邪魔して悪りぃな。」
にやりと笑って直江を部屋に招き入れる。
「悪いと思うなら来るな。」
相手が長秀だと憎まれ口も叩き易い。
半分本気で言うと、千秋は肩をすくめた。

「高耶さんは?」
「台所でなんか作ってる。」
奥からトントンと包丁の音が聞こえてきた。
ごまのいい香りが漂ってくる。
「直江? もうちょっとだから、座って待ってろ。」
高耶のあたたかい声がした。それだけで優しい気持ちになる。

とたんに千秋がおかしそうに笑い出した。
「おまえってホントにわかりやすくなったな。」
「なにがだ?」
「いや、なんでもない。」
怪訝な顔の直江は、自分がどんなに幸せそうな顔をしていたか全然気付いていない。
昔のふたりを知っているだけに、千秋は胸がきゅっとなった。

今日のメニューはとんかつだ。
きちんとゴマをすってソースに加え、高耶としては『ちゃんとした食事』という約束を
しっかり果たしたつもりである。
「いただきます。」
直江が美味そうに食べる顔を眺めて、高耶は嬉しそうに微笑んだ。

なんだかすっかり二人の世界になっている。
(おいおい。俺のこと忘れてねえか?)
別に無視されているわけではないのだが、二人の間に流れる甘い空気がなんとも居辛い。
「景虎。おかわり。」
千秋がふたりの目の前に、ぐいっと茶碗を差し出した。

受取ろうとした高耶の手を、直江が遮った。
「長秀、調子にのるな。おかわりなら俺が入れてやる。」
じろりと睨まれて、千秋は不満の声を上げた。
「なんだよ。てめえだって入れてもらってたじゃねえか。」
ぐっと詰まった直江に、
「直江、いいんだ。オレが入れっから。
客にメシよそうくらい、どうってことないって。」
そう言って高耶が千秋の茶碗を手に取った。

ご飯をよそって渡す間、直江は何も言わなかった。
不自然な沈黙に、言葉をかけようとしたとき、俯いたままで直江が言った。
「客だからですか。俺の時も、客だから入れてくれたんですか。」
驚いて言葉が出なかった。どう言えばいいのかわからない。

何も考えず、ごく自然に入れただけだ。理由なんてない。
けれど、客だから入れたんじゃない。
なによりこの俺が、客だからという理由なんかで動く人間じゃないことぐらい、
誰よりお前がよく知っているはずだ。なのにどうしてそんなことを言うんだ?

「どうした、直江。なに絡んでんだ。らしくねえぞ。」
千秋が真顔で問いかけた。
ついさっきまでの甘いムードが一転して、二人の間には重苦しい空気が漂っていた。

戸惑う高耶の姿に、直江の心がきりりと痛んだ。
客だからとかではなく、自然な優しさで入れてくれたことぐらい最初からわかっていた。
だが千秋が差し出した茶碗を受取ろうとしたことも、同じくらい自然なことだったのだ。
彼にとって自分も千秋も同じなのかと思った瞬間、
ずっと我慢していた感情の扉が開いた。

それとこれとは別なのだと、わかっていても止められなかった。
行き場をなくした独占欲が大きく膨れ上がって、抑えきれずに溢れ出す。
「あなたはいつだってそうだ。俺だけの人じゃない。俺だけのものでは居てくれない!」
大きく目を見開いて、高耶は直江を見つめた。

高耶が高耶である限り、どうしようもないことだとわかっている。
これは俺のわがままなのだ。
それをぶつけても苦しめるだけだとわかっているのに…。
激しい自責と後悔が胸の中で渦巻いて、直江はぎゅっとくちびるを噛み締めた。
「すみません。どうかしてる。今の言葉は忘れて下さい。」
そう言って立ち上がろうとしたとたん、ぐらりと視界が歪んだ。

ふらつく体を支えようと、椅子の背もたれを掴んだつもりが空を切った。
あっと思うまもなく床に倒れこんで、直江はそのまま気を失った。
「直江っ!」
高耶が叫びながら直江の横に走り込み、頭を抱きかかえて名を呼び続けた。

「直江、直江!直江〜っ!」
真っ青になって震えている高耶の両肩に手をかけると、千秋は顔を覗きこむようにして、
「落ち着け、景虎。大丈夫、ただの貧血だ。霊査してみろ、わかるだろう?」
穏やかな口調でゆっくり言い聞かせる。
怯えた子供のように、不安な目で見つめてくる高耶に、
「直江は大丈夫だ。心配するな。」
と言って大きく頷いてやると、ようやく少し安心した表情でこくんと頷いた。

なんとかふたりで直江をベッドに寝かせたが、高耶はまだ青い顔で小さく震えている。
放っておくわけにもいかず、千秋は高耶の隣に座って肩を抱いてやった。
(今までいくつも修羅場を超えてきたろうが。直江の貧血くらいで驚くなよ。)
そう笑って言ってやろうか。とも思ったが、言わなかった。

修羅場を超えてきたからこそ、喪うことがこれほどまでに怖いのだ。
その思いが痛いほどわかる。だから今は黙ってこうしていよう。
直江が目を覚ましたら、また二人をからかって楽しむのだ。
そのときの言葉を思いついて、千秋はそっと微笑んだ。

目を閉じたまま、直江はいつものように横に手を伸ばした。
何もない…。
左手を動かして探っても、右手で探っても、何も触れない。
カレガイナイ!
直江は飛び起きた。

「高耶さん!」
周りを見まわすと、暗い部屋の中で人の動く気配がした。
「よう、やっとお目覚めだな。」
千秋がベッドの横に来ると、楽しそうに声をかけた。
「長秀?どうしてお前がここにいる…? そうだ、俺は倒れてしまって…。」
まだ少しぼうっとしている。
不覚だった。寝不足が祟ったのだろうか。などと考えていた時、
「お前が寝てる間に、景虎とゆ〜っくり楽しませてもらったぜ。」
意味ありげな視線を投げかけて、千秋が耳元で囁いた。

かあっと体中の血が逆流するのがわかった。
心臓が跳ねあがる。息が詰まって言葉が出ない。
顔を真っ赤にして口をパクパクさせている直江を見て、千秋がぷっと吹き出した。
「あはははっはっはっひーひっははは。」
おかしくて笑いがとまらないらしい。腹を抱えて目じりに涙まで溜めて笑っている。
「か、からかうのもいいかげんにしろっ!」
怒鳴りつけて怒っている姿がまた可笑しくて、千秋は笑い転げた。

「直江!」
高耶がふらふらしながら直江のところに来ると、
「よかった。気が付いたんだな。」
ほっとしてそのまま座り込んでしまった。まだ青白い顔をしている。
「高耶さん。すみません、心配させてしまって…。」
こんなに心配させたのかと思うと、自分のふがいなさにたまらなくなる。

千秋はそんな二人を眺めてほっと息をつくと、
「お前がいないと景虎のやつ、全然なっちゃいねえんだからな。
一緒にぶったおれるかと思ったぜ。ったくもっと自分の体を大事にしろ。」
コツンと直江の頭を叩いて笑った。

「じゃ、俺帰るわ。景虎、メシ美味かったよ。御馳走さん。またな。」
そう言って手を振ると、さっさと玄関に向かう。
「千秋。」
見送ろうと立ちあがった高耶に、見送りはいらないからと断わって、千秋は帰っていった。

「あいつ、お前が気付くまで、ずっとここでいてくれたんだ。」
直江の側に座って、手を握りながら高耶が言った。
「長秀が…。」
いてくれて良かったと思った。
直江は心の中でありがとうと呟いた。

「もう大丈夫か?」
高耶が心配そうに尋ねた。
返事のかわりに抱きしめて、
「あなたの方がよほど病人みたいですよ。」
と言うと、引き寄せてベッドに押し倒した。
「まだ顔が青い。」
さらさらした髪を掻き揚げて、額に手をやると、そっとくちづけた。

「ばかやろう! どれだけ心配したと思ってんだ!」
むっと睨みつける高耶が愛しくてたまらない。
「ええ。本当にすみません。」
素直に謝った。こんなに心配させて、俺は本当にバカだ。
高耶が握り締めた拳を振り上げた。

その拳を直江の首に廻して、くちびるが触れ合う寸前の距離まで近づくと、
「欲しがってるのは、お前だけだと思うのか。」
そう言ってじっと直江の瞳を見つめた。
「オレはお前が欲しい。欲しいのはお前だけだ。それだけじゃ足りないのか。」
瞳が燃えるようだ。その瞳が直江だけを映している。
―ああ…―
直江の全身を激しい喜びが貫いた。

熱いまなざしが、半開きのくちびるが、ただ直江だけを求めている。
廻した腕に力を加えて、高耶は直江にくちづけた。舌を絡めて深く貪るように。
その頭を直江の手が包み込んだ。高耶以上の激しさで更に深く唇を重ねてくちづける。
増してゆく熱情のままに互いの体を絡ませて、
もつれあってベッドに沈むと、思いの全てをぶつけて求めあう。

とまどいも寂しさも、もうどこかに消えてしまい、
ただあるのは二人の息遣いと熱い体だけ。
いつのまにか明けた夜さえ、ふたりの時間を見守るように、窓のむこうで待っていた。

 

甘いような、甘くないような、二人の時間。どうも私が書くとこうなってしまうみたいですね〜(^^;

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