『橘の香る頃』

5月半ばの爽やかな一日。高耶たちは愛媛の山中を歩いていた。
「いい匂いがする」
ふと高耶がつぶやいた。風にのって、どこからか甘い香りが漂ってくる。
「ああ・・みかんが咲いてますきに。」
卯太郎が少し先のみかん畑を指差した。

白い花が緑の葉に隠れるように咲いていた。
「み〜かん〜のは〜なが〜咲ぁいて〜いる〜♪」
楢崎が気持ち良さそうに歌い出した。
(似合わねえ・・)
けれど声だけ聴いていると、なんだか懐かしい気持ちになる。
卯太郎も楢崎に教わってハミングしていた。

「まるで遠足だな。」
のどかな風景は平和そのもので、闇戦国が激化しているなんて嘘のようだ。
「遠足ってなんです?」
隣を歩いていた中川が尋ねた。
そういえば、卯太郎も中川も学校すらない時代だったのだ。
遠足など知るはずがない。
「遠足っていうのは…」
説明に困った高耶に代わって、直江があとを続けた。

「仲間と一緒に、弁当を持って気晴らしに出かけること…だと言えばわかるか?」
「花見みたいなものですか」
「まあそんなとこだ。子供のときだから酒はないけど。」
「じゃあ、ちょうどおにぎりを持ってますき、その遠足っちゅうのをやりませんか。」
中川の提案に、高耶と直江は顔を見合わせた。
気の休まることがない毎日。
体の疲れはもちろんだが、心の休息も必要だと中川は言った。
「そうだな。今なら、予定地に着くのが少し遅れても、まだ影響は出ないだろう。」
高耶が頷くと、中川が嬉しそうに笑った。

「遠足ってか?…これが?…違う!!なんか間違ってるぞお。」
さっきまでとなんにも変わらない。
相変わらずの山道をただ歩いているだけなのだ。
思わず呟いた楢崎の独り言に、卯太郎が答えた。
「気持ちじゃき。遠足をしてやろうっちゅう気持ちが嬉しいんじゃ。」
そう言って笑うと、楽しそうにさっきの歌を歌い出した。
「そだな。ま、いっか。」
眩しそうに目を細めると、楢崎も歌い出す。
真似をして口笛を吹く者もいて、時々笑い声が混じる。
予定地までの単なる移動は、やがて大の大人の不思議な遠足へと姿を変えていた。

「さあ、この辺で弁当にしょう!」
みかんの花がちらほら咲いて、近くには綺麗な涌き水が流れている。
賑やかな人の声に、縞蛇がびっくりして逃げていった。
「生き人がいなくて良かったのう。こんな賑やかだと人目をひくところじゃった。」
早田がおにぎりを頬張りながら、中川に話しかけた。
「ははは。こがいに喜んでくれるとは思うてなかったき。」
「ほんまに面白いもんじゃ。あの隊長が笑ろうちょるだけで、なんか嬉しゅうて・・」
本当に嬉しくてたまらないという笑顔で、早田は離れて座っている高耶を振りかえった。
高耶の表情は、いつもとあまり変わらない。
けれど中川や早田の目には、高耶が笑っているように見えた。

身に纏う空気が違うのだ。
柔らかくて暖かい春の日差しのように、今日の高耶は優しく微笑んでいる気がした。

みんなの手前、隣に座るわけにもいかず、しかたなく離れて座っていた直江は、みかん畑に入っていく高耶の後をさりげなく追いかけた。
背の低いみかんの木が並ぶ奥の方で、高耶は隠れるように座り込んでいた。
少し息が乱れている。
目を閉じて、時々苦しげにきゅっと眉を寄せる姿を見て、
「疲れているようですね。」
と声をかけると、高耶がハッと顔を上げた。

「大丈夫だ。これくらいなんともない。」
硬い表情で答える。大丈夫だなんて、強がりもいいところだ。
こうしていつも、誰にも悟られないように、隠れて我慢していたに違いない。
直江は高耶の頬を両手で包み込んで、しっかりと瞳を合わせた。
壷毒薬を飲んでいても、真紅の邪眼が心臓に突き刺さる。
それでも直江は怯まなかった。
「やめろ、直江。お前の体に障る。」

目をそらしても追ってくる琥珀の瞳に、高耶は諦めたように小さく溜息をついた。
「寝不足なだけだ。少し安めば良くなる。」
無理をするなと言っても、聞くような人でないことは、直江が一番よく知っている。
「では、ここで休んで下さい。」
すっと隣に座ると、右手で高耶の肩を抱いて引き寄せた。
「なおえ・・っ」

ダメだ。と言おうとしたくちびるを人差し指でそっと押さえて、
「静かに。人が来ますよ。」
ぎくりと黙った高耶の髪を優しく梳き、首筋から肩、腕へと静かに撫でていく。
黙ったまま、赤ん坊をあやすように、柔らかい優しいタッチで繰り返す。
直江のぬくもりが、ゆっくりと高耶の体をほぐしていく。
ずっと眠れなかったのが嘘のように、いつのまにか高耶は心地よい眠りに落ちていた。

「おや、橘さん。こんなところにいたんですね。」
にっこり笑いながら中川がやってきた。
すぐ近くまで来て、直江にもたれて眠っている高耶を見つけると、
「仰木さん、寝ちょるんですか?」
声をひそめて囁いた。
二人がこうしていることには、何の疑問もない様子で、
「気持ち良さそうに寝ちょる…。起こすのはかわいそうですね。」
としばらく考えてから、
「橘さん。あなたならおぶって行けそうじゃ。お願いできますか。」
屈託の無い笑顔に、直江は自然に頷いた。

起こさないよう気をつけてそうっと動いたのだが、高耶はすぐに目を覚ましてしまった。
だがギリギリまで張り詰めていた緊張は、一旦緩むと今までの負担が一度に押し寄せてくるものだ。
目が覚めても、今度は体が思うように動かない。
「あなたって人は、まったく・・無理のしすぎです!」
心配そうに脈を診ながら中川が叱った。

「疲れが溜まっちょるんですろ。橘さん、頼みます。」
「ああ、わかった。」
中川が手伝って、高耶を直江の背にしっかり乗せる。
「降ろせよ。自分で歩けるから・・。もう少しだけ休めば大丈夫なんだ。」
ちゃんと動けないくせに、降りようとする高耶を、直江は捕まえて離さない。
「仰木さん!おとなしくして下さい。よけいに重くなるじゃないですか。」
負担が増えると言われては、おとなしくするしかない。
高耶の性格を良く知った中川の言葉に、内心舌を巻いた直江だった。

「なんでじゃ。なんで橘なんじゃ! 隊長はわしがおぶっちゃるきに!」
早田が言うのを、中川はやんわり止めた。
「気持ちはようわかるが、こん中で一番大きいのは橘じゃろ? 橘が疲れたゆうたら変わってやればええ。」
「…そうじゃな。橘、いつでも変わってやるけえ、遠慮せんでええからな。」
今すぐにでも変わりたそうだ。
「ああ。そのときはお願いする。」
と涼しい顔で答えたが、こんな役目を変わってやるわけがない。
高耶を背負って軽々歩く直江を羨ましげに眺めて、早田はしぶしぶ退き下がった。

観念しておとなしく体を預けてしまえば、直江の背中は安心できる場所だ。
じたばたしても動けないのだからどうしようもない。
直江のぬくもりを感じながら、高耶は静かに目を閉じた。

「橘さん、みかんのことを橘っていうの、知ってますよね。」
中川が隣に並んで歩きながら話しかけた。
「え? ああ。知っているが…。」
「みかんっちゅうのは本当に体にいいんです。色々役に立つし、みかんの皮をこすりつけておくと、蚊も来ないんですよ。」
適当に相槌を打ちながら、直江は中川を見つめた。
何が言いたいのかわからない。意味もなくこんな話をするとも思えない。

すると、直江の視線にきちんと目を合わせて、中川がにっこりと微笑んだ。
「あなたにぴったりのええ名前じゃ。大事な人をいつもしっかり守っちょるんですき。」
一瞬、直江が息をとめた。
中川は笑顔のまま、高耶に目をやった。
「あなたの背中だから、こうして眠れるんですね。」
包み込むような暖かい眼差しで見つめると、同じ眼差しで赤鯨衆の仲間たちを見渡した。

抜けるような五月晴れの空に、太陽がゆっくり西に傾いていく。
「こんな遠足も悪くなかったよな。またやってもいいな。」
楢崎が言うと、すかさず早田が
「あほう、遊んでばっかりおれるか。今日だけじゃ。ま、ええ一日じゃったの。隊長の寝顔も拝めたし。」
めったに見られんぞ。と言って笑った。
そうじゃ、そうじゃと、あちこちから笑顔がこだまする。
心地よい風にのって、みかんの花の香りがした。

                     2004年5月14日  桜木かよ

     

これはキリバン2500で月花草さんに差上げたものです。
高耶さんの体を気遣う中川と直江と高耶さんのお話を、赤鯨衆を絡めて・・
というリクエストだったのですが、またまた長くなっちゃって・・・(^^;
本当に、こんなものをサイトでアップして下さった「花盗人」さまに感謝です〜(^0^)

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