『春雷』

遠くでゴロゴロと雷の音が鳴った。
ハッと空を見上げた高耶の瞳が、嬉しげに輝いている。
「あなたは本当に雷が好きですね。」
やれやれ…といった面持ちで、直江はその横顔を見つめた。

菜の花畑やれんげ畑が続く田舎道。
頭の上を、黒い雲がよぎった。
たちまち暗くなってゆく空に、稲妻が走る。

うっとりとしたまなざしで、白い閃光を追う高耶に、
「怖くないんですか?」と尋ねた。
不思議そうに見返した瞳に、不遜な色が浮かんだ。

怖いなど…思うわけがないだろう?
この身に落ちてもかまわないと、何度思ったことだろう。
こんな世界など、焼き尽くしてしまえばいい。
何もかも、消えてなくなればいいのだ、と。
そう願ったことすらあるのに…。

「お前だって、怖くないんだろ?」
この男の怯えた顔を、そういえば見たことがない。
「お前が怖いと思うものって…あるのか?」
目の前の男は、鳶色の瞳で高耶を見つめたまま、何も言わずに微笑んだ。

また稲光が閃き、同時に轟音が鳴り響いた。
今度は近い。

ふっと高耶が笑った。
いきなりベルトを外すと、バックルを高く掲げて、れんげ畑に躍り出た。
「何をするんです!!」
驚いて後を追った。
腕を掴むと、覆いかぶさるようにして地面に伏せる。
背で雷鳴が唸った。

「あなたという人は。どうしてこんな無茶をするんだ!」
思わず叱りつけて、直江は唇を噛んだ。
指の震えが止まらない。
青ざめた頬に、高耶の手がそっと触れた。
「落ちやしない。」
直江が苦悶に歪んだ眉を開くと、
「ほら。大丈夫だろ?」
手にしたベルトのバックルは、クローム鍍金がされている。
安堵とも苛立ちともつかぬ吐息をもらし、直江は上体を起こした。

その首に、腕が廻された。
あっと思うまもなく、
直江の頭は、高耶の胸に抱きしめられていた。

ほんの少し驚かせたかった。
いつも冷静で大人の顔をしてる直江。
それが。こんなにまで動揺するなんて…

申し訳なさと同時に湧き上がった、思いがけないほどの喜び。
この感情をどうすればいいのか。
高耶には、わからなかった。

俺は死なない。
お前をおいて逝ったりしない。
だから…

「大丈夫だから…。」
囁いた言葉は、ただその一言だけだった。
「ええ。」
と答えて、直江はそのまま目を瞑った。

振り出した雨も、遠くなった雷鳴も、全て背中で受け止めて、
直江はただ、静かに高耶の鼓動を聞いていた。

           2005年4月15日      by 桜木かよ

 

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