『龍神紀行』

 春休みが終わり、黄金週間にはまだ遠いそんなある日。
直江と高耶は、和歌山にある龍神温泉へと向かっていた。
日本三大美人湯と言われるこの温泉は、深い山の奥にあり、和歌山市からでも行くのには随分時間がかかる。
直江は高速道路を海南東インターチェンジで降りると、生石から白馬トンネルを抜けて美山村から龍神村へと続く最短コースを走っていた。

山また山の道である。新緑が鮮やかで清々しい空気が香る。
美山村を流れる美しい初湯川の途中では、鯉のぼりが連凧のように渡されて気持ち良さそうに風に泳いでいた。
「いつのまに予約したんだ?」
窓を開けて外を眺めながら、高耶が訊いた。
「内緒です。」
と笑ってから、ちょっと心配そうに直江が尋ねた。
「いけませんでしたか?」
「いや、いい…。」
いつもながら、手回しの良さに感心する。
きっと最近少し疲れていたのをわかっていたのだ。
こうして自然に囲まれていると、それだけで気持ちが和む。
直江がオレをよく知っているのか、オレが単純なのか…。
複雑な気分でちらりと見ると、直江がこちらを見て微笑んだ。

やがてひとつカーブを曲がるたびにどんどん山が深くなり、車は龍神街道へと入っていた。
最近は道路も整備されて便利になったとはいえ、ここまで来るには時間がかかる。
ここは昔徳川頼宣が建てた御殿で、以来紀州の殿様の定宿となっただけあって、今の建物は明治に建て替えられたものだったが、凛として落ち着いた風情を漂わせている。
案内してくれた仲居さんがお茶を入れて立ち去ると、高耶はそのままごろんと寝転んで目を閉じた。
畳のにおいがする。清々しい山の空気が部屋の中にまで流れているようだ。

「浴衣に着替えて風呂にいきませんか。」
誘う声に目を開けて起き上がると、浴衣を着た直江が窓際に立っていた。
なんということのない旅館の浴衣も、直江が着ると違って見える。
外を眺める姿に思わず見とれてしまって、高耶は慌てて浴衣に着替えた。
「ああ・・ちゃんと着ないとはだけてしまいますよ。」
「いいって。どうせすぐ脱ぐんだし。」
てきとうに巻きつけた浴衣からしなやかな体がのぞくのが、裸でいるより妙に色っぽくて目のやり場に困る。
そんな直江の気持ちも知らず、上機嫌で廊下を歩いて風呂に行くと、
「もう一緒の湯に入れねえなんて言わないよな。」
といたずらっぽく笑った。

「もちろん、お背中だけ流させて頂きます。」
言ったとたんに高耶の顔が曇った。
「冗談ですよ、一緒に入ります。」
「ば・・っかやろ。ウケねえぞ、そんなの。」
ぷいと横を向いてしまった高耶を、いきなり抱き寄せてくちづけた。
「…誰か来たらどうす…ン…んん。」
大浴場は当然貸切ではない。
たまたま誰もいないのをいいことに浴衣を脱がしにかかる直江を押しのけて、高耶は上気した顔で荒く息をつくと、ぱぱっと裸になって浴場に飛びこんだ。

温泉の柔らかい湯がしっとりと肌になじんで、胸の動悸をゆっくりと鎮めていく。
少しすると直江が入ってきて隣に並んだ。
顔の半分までお湯につかって目だけ向けると、直江は涼しい顔でのんびりと湯につかっている。
目が合って、直江がにっこり微笑んだ。
これで何度目だ? まるでオレだけ子供みたいな気分になるのは。
またしても抱きしめようとする直江に、
「ダメだ、触るな。」と突っぱねると、
「どうして?」直江が甘くささやく。

頭のてっぺんまで湯につかって、ざあっと上がった。
このままいると、流されそうで怖い。
でもそんな事を言うと、きっとますます甘く絡んでくるのに決まっている。
「腹減った。メシにしよう。」
「そうですね。」
直江は逆らわずに風呂から上がった。

どうやら既に言ってあったらしく、部屋に帰るとすぐに夕食が運ばれてきた。
山の幸や川魚が次々と出て、どれもとびきり美味しい。
すっかり満足して、ふかふかの布団に寝転んでう〜んと手足を伸ばす。
地酒のほろ酔いかげんが心地いい。
「ここの露天風呂は貸切なんです。後で行って見ませんか?」
高耶は無言で直江をじっと見つめた。
「手を出しちゃいけませんか」
直江が上から覆いかぶさるようにして瞳を覗き込んだ。
そっと近づいてくる唇を、高耶は拒まなかった。
この心のままに、流されるのも悪くない。
甘いくちづけを何度も重ねて、しだいに熱く深くなってゆく想いに身をゆだねる。
障子からさしこむ灯りがやわらかくふたりを照らしていた。

露天風呂は川のすぐ脇で、ふたりは川のせせらぎを聴きながら星を見上げた。
冴えた夜の空気が気持ち良くて、ずっと入っていてものぼせない。
シーズンオフだからこその贅沢な時間。
白浜の海と龍神の山。
その幸を心と体いっぱいに満たして、やがて眠りにおちてゆく。
明日目覚めたら、新しい朝と共に帰ろう。
俺たちの家に…。

 
2004年4月23日  by 桜木かよ

これもキリバン2200でメイシャンさんに差上げたものです。

「海幸・山幸」があんまり長いもので、もしサイトでアップしてくださるなら
せめてこれくらいでないとなあ・・と書き直したの。
結局ふたつともアップして下さってます・・(滝汗)ホントにありがとう!!

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