ある夏の日2

照りつける太陽がこれでもかと肌を焼く。
海で泳ぎつかれて砂浜にあがると、火傷しそうに熱くなった砂に、体を滑り落ちる水滴がたちまち乾いてゆく。
高耶は直江の隣でごろんと仰向けに寝そべった。
「はあぁ・・。こんなに泳いだの久しぶりだ。気持ちいい。」
顔の上に手をかざして、まぶしそうに空を見上げる。
青い空に白い雲。夏を絵に描いたような海は、賑やかな笑い声や歓声に満ちている。
どこかでとんびが鳴いていた。

「オイルを塗らないと、あとでひりひりして痛くなりますよ。」
直江がオイルを差し出すと、めずらしく素直に受取ってペタペタ塗りはじめた。
肩や腕に塗り、背中にも手を伸ばして塗ろうとしてまだらになってしまったのを、直江がきれいに塗り広げてやる。
初めて触れた彼の背は、すべすべして滑らかだった。
「サンキュ。お前にも塗ってやるよ。」
「いえ、私は…」
断わろうとする直江に、
「俺すっげえ痛くなったことあるんだ。背中だけでも塗ってやるよ。」
高耶はそう言うと、有無を言わさず塗り始めた。

直江の背には、高耶をかばった時の傷が残っている。
命がけで自分をかばった男。
直江がかばったのは景虎なのだ、そう自分に言い聞かせても、こうして一緒に過ごすうちに、知らず知らず直江に心を許していくのがわかる。
心を委ねて裏切られたとき、自分はどうするのだろう。
壊れてしまう…。それが怖くて心を見せずに生きてきたのに、直江を前にすると、不思議なくらいガードが緩む。
直江の傷は高耶の胸に、また痛みを呼び起こした。
けれど高耶はもう目を逸らさなかった。
あのときの直江のぬくもりは、高耶の心に深く刻まれ、消える事のない灯となって残っていた。
こいつになら、背中を預けてもいいだろうか・・。(直江は俺を裏切らない)そう信じてしまいそうな自分にとまどいながら、高耶は直江の広い背にオイルを塗った。

直江の手には、まだ高耶の肌の感触が残っていた。
そして今、背を高耶の手が滑ってゆく。神経が張り詰めて、めまいを起こしそうだ。
隣に座って何も知らずにオイルを塗る高耶に、手を伸ばして触れたい衝動を、なんとか理性で押え込もうとしていた直江の目の前に、いきなりスイカが差し出された。
「ねえ、みんなでスイカ割りしようよ。」
譲と美弥が、にこにこ笑いながら誘っている。
立ちあがった高耶だったが、すっとかがむと、
「直江、例の力使うのは無しだからな。」
そう言って直江の目をまっすぐ見つめた。間近で見る彼の瞳に、心臓が止まりそうになる。
ふいにさっきの感覚が蘇って、直江は思わず高耶の手を握った。
「なおえ・・?」
突然の行動に驚いた高耶だったが、やがて直江の手をしっかり掴んで立ち上がらせると、
「やる気だな! よーし、負けねえからな。」
と宣言して歩いていく。なにやら完全に勘違いしているようだ。
直江はほっと息をつくと、胸の動悸を沈めて後を追った。

「ズルすんじゃねえぞ。」
今度は千秋と綾子に言っている。勝負のつもりらしい。
「てめえじゃあるまいし、スイカ割りなんぞで力使うわけねえだろーが。」
ふふんと鼻で笑って一番に挑戦した千秋だったが、高耶と譲に散々回された上に、綾子の誘導に混乱して、もうちょっとのところで失敗してしまった。
「やーい、失敗してやんの。」
嬉しそうに大笑いしている高耶に、
「すぐ割っちまっちゃつまんねえからな。残しといてやったんだよ。」
そういって笑った顔が、少々ひきつっている。高耶は腹を抱えて笑った。

次は綾子だったが、まるっきり違う方向でブンブン棒を振りまわす。
「晴家!こっちじゃねえって!」
危うく叩かれかけ、わざとやってんじゃないのか、と内心思った千秋だった。
次の美弥も、みんなの応援の甲斐なく失敗し、
「てやあっ!」
掛け声と共に思いっきり棒を振り下ろした高耶は、手応えがあったのに割れていない。
おかしいなあ、と首をかしげたが、
「やーい、失敗してやんの。」
自分と同じ言葉ではやしたてて、にやりと笑った千秋にハッと気付いた。

「てっめえ、スイカに護身波、張りやがったな!」
「へっへーん。割るのには、力使ってねえからな〜。」
笑いながら逃げる千秋を、高耶がムキになって追いかける。
「まったく、どっちも負けず嫌いなんだから。まるで子供ね。」
そういいながら、綾子は面白そうに見ていたが、
「負けるな〜景虎。長秀つかまえちゃえ〜。」
そのうち、楽しそうに手まで振って煽り始めた。
(黙って立っていたら、いい女なんだが)
三人を交互に眺めて、溜息をつく直江だった。

「おーい、戻って来〜い。スイカ割りやっちゃうよ〜。」
譲が呼んだ。高耶が気付いて走ってくる。千秋も後から歩いてきた。
「じゃ、次は直江さんだね。」
譲から棒を渡され、直江はスタート地点に立った。どうしようか・・直江は迷っていた。
成功すれば高耶が拗ねそうな気がする。でも失敗したら手を抜いたと思われそうだ。
悩む直江を、譲と高耶がくるくる回らせる。
高耶の手が触れたとたん、直江はまたもや衝動に囚われてしまった。
もはや綾子の誘導など耳に入らず、一直線に進んで振り下ろした棒は、見事にスイカを割っていた。

(しまった!)
気付いたときは既に遅く、こわごわ高耶を見ると案の定、彼は腕組みをして直江を睨んでいる。
やはり拗ねている…。後悔する直江に美弥が声をかけた。
「橘さんって、すごーい! ねえ早くスイカ食べようよ、美弥もう喉かわいちゃった。」
喜ぶ美弥を見て、高耶が笑顔になった。
すれ違いざまにポンと直江の肩を叩いて
「成功したのに、なんでそんな困った顔してんだよ。おもしれえぞ、その顔。」
そういうと、こらえきれずに笑い出した。
「あ、あなたって人は・・」
わざと拗ねてみせたのだ。すっかり見透かされているらしい。お手上げだ。この人にはかなわない。
直江は額に手を当て目を閉じた。
笑いが込み上げてくる。直江は笑いながら、みんながわいわいスイカを食べている輪に加わった。

夕飯は、お約束のバーベキューだ。炭火で焼いた肉は美味い。まだ日が沈むには早かったが、美しい海を見ながら野外で食事するのは最高の贅沢だ。シーフードや野菜もたっぷりで、みんな大満足して動けなくなるまで食べた。
「高耶さん、あなたはもっと食べて、もう少し太ったほうがいいですよ。」
「いや、もう食えねえ。」
食べ過ぎて死にそうだ。その横でビールを片手に綾子がエビを食べている。
「ぷは〜。んま〜い!」
彼女の食欲は留まるところを知らないようだ。
「あんだけ食ってまだ食えるのか…。」
千秋が感心したように言った。譲も美弥も目を丸くして見ている。
「そんなに食べても太らないっていいなあ。」
美弥が言うと、綾子が意味ありげに笑って、おいでおいでをした。女二人が秘密の会話をしている間に、男たちでやっと片付けが始まった。
残った食材を皿に集めてラップしながら、高耶がみんなに片付けの指図をする。
何をしていても大将は大将。本人が思っている以上に高耶はリーダーの器だと、直江は思った。

すっかり後片付けも終わり、熱の冷めた砂浜に座って海を眺める。
夕焼けの空にあかね雲が美しく広がり、風が寄せては返す波の色を変える。
沖から吹く風が海を黒く染めながら近づいてくるのを、高耶はずっと飽きずに眺めていた。
「涼しくなってきましたね。」
見上げると、直江が優しい眼差しでこちらを見ていた。
彼の眼差しはいつも心の深いところに届いてくる。あたたかいそのぬくもりを、高耶はそっと胸に抱きしめた。

「お兄ちゃん、暗くなったら花火しようね。」
「打ち上げ花火もあるんだ。ここ打ち上げもOKなんだって。」
両手いっぱいに花火を抱えて美弥が嬉しそうに笑っている。
「譲のやつが、持って行こうってうるさいからさ。」
「キャンプっていったら花火だよね、高耶。」
綾子がテントから虫除けスプレーを持って走ってきた。
「今は便利なものがあるわよねえ。さあ、これ振ったげるから、並んだ並んだ。」
小学生じゃあるまいし・・とぶつぶつ言いながらも、なぜか一列に並んでしまう。
直江まで並んでいるのを見て、綾子は満足げに頷くと、全員に丁寧にスプレーしてやった。

「うん、これで蚊も来ないし、さあデザート食べよう!」
「え〜っ。まだ食べる気か?」
そういいながらも、綾子が出してきたプリンを食べてしまった6人である。
甘いものは別腹というが、今日一日で確実に数キロ太ったに違いない。動くのがおっくうになって、しばらくそのまま砂浜に寝転んだ。
暗くなってゆく空にゆっくりと雲が流れる。
直江がランタンに灯を入れると、蛍光灯とは違う光が辺りを照らした。懐かしさを誘うその光は、なぜか人を優しい気持ちにさせる。もう暗闇に怯えないでいいのだといってくれている気がした。

やがて空に星が瞬き、夜が深くなってきた。花火の時間だ。
「打ち上げ開始すっぞ!」
千秋が点火すると、いきおいよく上がった花火が、上空でポーンと鳴った。小さいながらちゃんと花火らしく光って、美弥が大喜びしている。
手に持った花火もシュウシュウいいながら色鮮やかに光の軌跡を描いた。煙にむせながら、いくつも楽しんだ後、みんなで一本ずつ線香花火を持って、玉を落とさないように静かに見つめる。
パチパチと赤い火花を散らしながら、だんだん小さくなってゆく赤い玉が、なんだか愛しくて、落ちてしまわないようにじっとしているのに、ぽとんと落ちてしまう。落ちずに残った一本を、6人は祈るように見つめた。小さく黒くなって火花がなくなるまで。

「今日は楽しかったね。」
テントに入って寝袋にもぐりこむと、美弥が隣の高耶に言った。
「そうだな。」
そう言って高耶は優しく微笑んだ。美弥のこんなに嬉しそうな顔を見たのは久しぶりだ。
「お兄ちゃんがあんなに楽しそうに笑うの、美弥久しぶりに見たよ。」
明日もきっと楽しいよね。そういうと小さくあくびして、美弥は目を閉じた。
「おやすみ、美弥。」
高耶は手を伸ばして美弥の頭を撫でると自分も目を閉じた。
こんな穏やかな気持ちで眠るのは何年振りだろう。高耶の隣には直江の寝袋がある。
直江はまだテントの外で、綾子や千秋と酒を飲みながら話していたが、かすかに聞こえる声に高耶は安らぎを感じていた。

頭の方では譲がもう眠っている。さほど大きくないテントは、みんなで寝ると足の踏み場もないくらいだ。
狭い空間で大勢の他人と一緒に寝るなど、普段の高耶なら考えられない。それくらいならテントの外で寝るほうを選ぶだろう。
けれど今はみんなと一緒にいることがとても自然なことに思えた。
心地よい睡魔に身を任せて、高耶は眠りに落ちていった。

「おやすみなさい。高耶さん。」
みんなが寝静まった頃、寝袋の中から手を伸ばして、直江は高耶の髪に触れた。
明日もまた彼の笑顔を見ていたい。
胸にある獣をいつか押さえきれなくなるのはわかっていた。でもまだこの笑顔を失いたくはない。
直江は暗闇の中で目を閉じて、ただ静かに高耶の寝息を聞いていた。

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