ある日、おじいさんがいつもの散歩をしていると、
電信柱の横に、木で出来た小さな椅子がありました。
「おやおや。こんなところに椅子が…」
捨てたとは思えない、しっかりとした美しい椅子です。
ちょちょいと拭いて座ってみると、空がとても綺麗に見えました。
「これはいい。明日もここにあるといいのう。」
おじいさんはニコニコ笑って、おうちに帰りました。
あくるひ、おじいさんは少し早く出て、椅子のところに向かいました。
するとそこには、可愛らしいおばあさんが座っていました。
「こんにちは。いい天気ですね。」
「ええ本当。空がこんなに綺麗だったなんて、忘れてました。」
「おや。あなたもですか? 私も昨日ここに座って、そう思ったんですよ。」
二人は顔を見合わせて、楽しそうに笑いました。
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シュッと音をたてて、ほうきが止まった。
「おかえり直江。椅子あったか?」
ただいまを言うより早い高耶の声に、直江は笑いながらマントを脱ぐと、
「ええ、ありましたよ。」
と答えて、台所で忙しそうにしている恋人の腰を、後ろからキュッと抱きしめた。
「こら!…ん…ちょっと待てって…」
もがく体を捕まえ、うなじに唇を這わせる。
くすぐったそうに肩を竦めても、思わず洩れる息の甘さがたまらない。
そのままベッドに連れていこうとした直江だったが、高耶はそこまで甘くなかった。
きちんと食事を終えて、片付けて。 それから夜の散歩に出かける。
それが二人の日課だった。
もちろん今夜もそれは同じで、直江はお預けを食った犬の心境がよ〜くわかる気がした。
月に向かって「ワオ〜ン」と吼えてやろうか。と思ったくらいだ。
高耶を乗せて、夜空を飛ぶのは楽しい。
マントで覆うと見えないから…と言いくるめて、イケナイコトだって出来てしまう。
ただこのまえは、つい夢中になりすぎて、高耶の誕生日プレゼントを落としてしまったのだ。
おかげで当分、その楽しみは我慢するしかなさそうだった。
「ったく。下に誰かいたら大怪我させるとこだったんだぞ!」
「そんなヘマはしませんよ。」
そんなことを言いながら、ふたりは電信柱の横に降りた。
直江が口の中で呪文を唱えると、綺麗な花束とカードが現れた。
「これでいい。なあ、この一角だけ雨が降っても濡れないように出来るか?」
「もちろん。私を誰だと思ってるんです。」
偉そうに胸を張った直江が、いたずらっぽくウインクする。
やがて飛び去るふたりを、下弦の月が笑って見送った。
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「おじいさん、お茶が入りましたよ。」
「ああ、ありがとう。」
縁側に並んでお茶を飲みながら、おじいさんとおばあさんが空を見上げる。
ふたりの家には、枯れることのない花束とカードが、いつまでも大切に飾られていた。
2006年6月18日
背景の壁紙は、こちらからお借りしました。→
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