彼方からの呼び声−5

 そのころ、千秋と高耶は、やっと戸隠村に入っていた。
 高耶が偵察に放った剣の護法童子は、まだ綾子を見つけていなかった。
毘沙門天の眷属である護法童子は、神社の領域には入らないようにしている。
祭られている神によっては、自らの領域で他の仏の眷属が勝手に動き廻るのを嫌がることもある。
戸隠ではどうなのかわからないが、へたに刺激したくないと思ったのだ。
「まだ見つからないってことは、どうやら神社のどこかにいるみたいだな。」
 宝光社の手前で車を降りて、二人は霊査しながら歩きだした。

真夜中をとっくに過ぎ、あたりは当然真っ暗である。月が出ているので、なんとか道は見えるが、戸隠神社とひとくちにいっても、宝光社から中社、奥社と広大な領域である。そのうちのどこにいるのか、まったくわからない状態で歩き回っても、見つかるものではなかった。
「千秋、なんかもっと手がかりになりそうなこと、聞いてないのか?」
高耶が言った。ずっと護法童子と霊査の両方を続けて、いいかげん疲れていた。
「う〜ん。戸隠っつうことしか言わなかったんだよなあ。」
千秋も困ったように言うだけだ。

なぜ綾子が何も言わずにひとりで行ったのか、千秋にはわかる気がしていた。
高耶は確かに力が強くなったし、統率力も判断力も、かつての景虎を彷彿とさせる。
だが、気を張り詰めすぎていて、余裕が無い。どこか不安定な危うさを感じる。無理をしているのがわかるのだ。

晴家は今の景虎に、これ以上負担をかけたくないと思ったんだ。
しかも例の夢は、美奈子に絡んでる。直江とこんな状態になってる景虎に、言えるわけねえよな。
だけど晴家。お前は言わなきゃいけなかったんだ。
これくらいのこと受けとめられないようじゃ、景虎はそれまでだってことだ。
お前が四百年もついて来た男は、そんな小せえ奴じゃねえだろ!

 何も知らない高耶が焦れて言った。
「まったく、使えねえ奴だな。」
「っんだとお!」
やっぱりこいつは小せえ奴かも知んねえ。千秋はがっくりと肩を落とした。

中社を過ぎたところで、高耶と千秋が同時に足を止めた。
この先に大きな怨念の動きを感じる。めったにないほどの大きさだ。
「こいつはちょっと、きついかもな。」
言葉とは裏腹に、千秋の目が輝いている。高耶は思わず微笑した。
こういう時、この男と一緒でよかったと、改めて思う。
敵の大きさに怯まない千秋の精神力が心強い。
「まかせたぞ、千秋。」
そういうと、高耶は奥社に向けて走り出した。
千秋も走る。だが、千秋が向ったのは、奥社ではなかった。
怨念が動いたのは鏡池の方角だったのだ。

「あの野郎、奥社になんか見つけたな。ったく、人使いの荒い大将だぜ。」
鏡池は、戸隠でも屈指の景観を誇る美しい池だ。昼間だったら戸隠連峰の山々を映して、さぞ綺麗だったろう。
しかし今は夜だ。月があるとはいっても、満月ではない。
土地勘のない場所での、ひとりきりの戦闘は不利だ。
千秋はポケットから、力を封じ込めておいた霊石をいくつか出すと、左手に握り締めた。

怨念は、山を背負った鏡池をバックに立っていた。
「呼びかけに応じて来たのはお前か、安田長秀。」
「ふん、助け求めてんのは女じゃなかったっけ?糸引いてたのは、てめえか。汚ねえコトするじゃねえか、真田幸隆!」
真田幸隆は、武田の将として名を馳せた人物である。
信州の人ではあるが、まさかこんなところで出会うとは、思ってもみなかった。
生前は、戦場で顔を合わせた相手であった。

「今度も敵なんだな。なんでいまさら蘇った!そんな恨み抱えるような人生じゃなかった筈だろうが!」
 語りかけながら、千秋は右手に力を溜めていく。手強い相手だ。
「そなたにはわかるまい。子を思う親の気持ちなど。」
幸隆が念を放った。重い強烈な念の爆弾だ。とっさに護身波で身を守り、左手の口元にやると、真言を唱えて霊石の効力を発動させる。
「昌幸の為だというのか!そんなものが親の情か!」
叫びと共に石を投げつけた。霊石から出た念が、幸隆の体を呪縛する。
すかさず念を撃つ。機関銃のような連射に、幸隆はたまらず膝をついた。

真田昌幸は、関が原の際、息子の幸村と共に豊臣方についたが、抜け目の無い武将で、幸村の兄信之を徳川方につけた。
おかげで豊臣が敗れても、紀州九度山に幽閉されただけで命は助かっている。
それでもやはり成仏できなかったらしく、この闇戦国で復活した彼は、高名な経済学者に憑依し、外圧を利用して日本を動かそうと画策していた。
実は明日、東京で直江達が戦おうとしている相手こそ、この真田昌幸なのである。
「そなた達に昌幸を滅ぼされてなるものか。」
屈強な青年に憑依した真田幸隆は、渾身の力を込めて霊石の呪縛を振り払うと、千秋に向けて念を放ち、林の中へ逃げ込んだ。

「逃がすか!」
千秋が後を追って林に入った。林の中には、月の光もほとんど届かない。
闇の中を驚くほどの速さで幸隆が走る。気配を追うだけでは、とても追いつけない。
千秋は残りの霊石に光明真言を唱えると、幸隆の走る先に向けて放った。
霊石が光ながら空中に留まっている。その光で行く手を照らし、千秋は幸隆との距離を詰めた。

「いくら地元っていっても、こんな暗闇でよくあんなスピードで走れたもんだな。」
さすがに息があがって喘ぐ千秋に、幸隆は謎めいた微笑みを返した。
「ここは戸隠。忍びといえば伊賀と甲賀しかないとでも思っているのか。」
その声に、先程とは違う響きを感じて、千秋は目をこらして幸隆を見つめた。
姿は確かに同じだ。しかしどこかが違う。
「お前…誰だ?」
男は答えない。間合いをとったまま、黙って千秋を見つめている。

鏡池で会ったのは、真田幸隆に間違いない。とすれば、林の中で入れ替わったのだろうか。
おそらく戸隠流の忍び、それも頭領級だろう。ならば名を言ったとしても、千秋が知る筈もない。
名を知られない事こそ、忍びの極意なのだ。
「安田長秀。お前には人質になってもらおう。」
男が右手をあげると、木の陰から何人もの若者が姿を現し、一斉に飛びかかって来た。
「効かねえな!」
千秋が力を放つと、若者達はあっけなくふっとばされ、木に叩きつけられた。
「やはりこの者達では無理か!」
男は舌打ちすると、千秋に念を撃ちこんだ。それを片手で弾き飛ばし、思いきり間合いを詰める。
男は後一歩のところで、すいっと逃げた。

勢い余ってバランスをくずしかけた処に、すかさず男が網を投げた。
「俺は魚じゃねえんだよ!」
ぎりぎりで網をかわし、転がりながら念を撃つ。男の右腕が裂け、血が流れた。
千秋は体制を立て直すと、もう一度尋ねた。
「名を名乗れよ。名前も言わずに、俺に調伏されてえのか。」
男の目が挑戦的に光った。
「我が名を聞いて、生き残れると思っているのか。」
「そのつもりでいるんだけど。」
不適な笑みを浮かべて、千秋が言った。ふっと男が笑った。
「豪胆な奴だ。敵にしておくには惜しいな。」
そう言うと、男は念を連射した。千秋が後ろに飛ぶ。男はそのまま林の奥に消えた。
すぐに後を追ったが、今度はもう追いつけなかった。
「結局名乗らず、か。」

鏡池に戻るころには、もう夜が明けていた。池には朝もやが立ちこめ、幻想的な風景の中から、人影がふたつ近づいてくる。
「誰だ!」
身構えた千秋に、
「あたしよ、長秀。」
綾子の元気な声が聞こえた。
「晴家!ったく、心配かけやがって。」
綾子の隣に高耶がいる。千秋は小さく安堵の吐息をついた。
「大丈夫か、千秋。」
「あったりめえだろが。この俺がそう簡単にやられるかっての。」
そうは言っても、服も髪も土がついて、シャツは所々かぎ裂きになっている。楽な戦いではなかったらしい。

千秋の話を聞いた高耶は、眉をよせて考えこんだ。
謎の男も気になるが、真田幸隆の動く目的も、ただ昌幸を守る為だけとは思えない。
「直江の事が気になるな。昌幸が成田につくのは今日だろ。あっちは大丈夫なのか。」
千秋が言ったとたん、高耶がぴくりとした。表情が硬くなる。
ぴりぴりしているのが、こっちにまで伝わってくる。
(お前がそんなだから、晴家がなんにも言えねえんだよ)
もの言いたげな綾子と目が合った。綾子は困ったように目を伏せたが、やがて心を決めて顔をあげると、
「景虎。あたし言わなきゃいけないことがあるの。」
もう迷いはなかった。今言わなければ、もっと困った事になってしまう。

綾子は全てを話した。美奈子の夢を見たこと、九頭竜社のこと、そして白い影のこと。
高耶はなにも言わず、じっと話を聞いていた。話が終わった時、
「姉さん、つらい話させて悪かったな。」
綾子の肩に、いたわる様に手を置いて、高耶が微笑んだ。
その瞳は痛みを宿していたが、心配しなくていい、大丈夫だからと、言葉に出さなくてもそう言っているのがわかる。
胸が熱くなって、涙が滲んだ。千秋がにやりと笑って綾子にウィンクした。

話を総合的に考えてみると、真田幸隆が白い影を使って綾子を誘い出し、人質にして昌幸を逃がそうとしていた、という仮設が成り立つ。
「30年前の事を持ち出したのは、誰かが教えたからだよな。真田って言えば武田か?」
「武田なら、高坂だわね。けど、あいつにしては詰めが甘い気がするのよね。」
「織田かもしれない。」
千秋と綾子の会話を黙って聞いていた高耶が言った。
「織田が?真田と繋がってるっていうのか?」
「いや、それはまだわからない。ただもし織田なら、真田を捨て駒にして俺達を潰すつもりだろう。
信玄はこんな戦い方はしない。捨てるより活かそうとするはずだ。」
高耶の言葉には説得力があった。確かに、織田だと考えたほうが妥当だ。
 捨て駒ならば、相討ちになろうが時間がかかろうがかまわない。失敗してもいいのだ。
きっと、成功したら儲けもの、くらいにしか思っていない。

「俺達をここに集めたってことは、織田は他でしたいことがあるってことだよな。」
「多分な。だがまずこっちを片付けるのが先決だ。姉さん、その洞窟へ案内してくれ。」
「景虎?なに言ってんの。罠だってわかってるのに。」
高耶の目は真剣だ。千秋が、やれやれといった顔で、
「行こうぜ、晴家。お前だって行く気でいたんだろ。さ、お姫様を拝みに行くとすっか。」
そういうと、さっさと歩きだした。
「なあ、なんで怨将って奴はどいつもこいつも、世の中を自分のものにしたがるんだろうな。
そんな事で恨みが晴れんのか?それがそんな気持ちいいコトか?」
 俺には全然わかんねえや。と千秋は言った。
「あんたみたいに、割りきれる人間ばっかりならねえ。」
 綾子が溜息をついた。
「わかりやすくていいだろが」
「そんなひねくれてて、どこがわかりやすいのよ!」
 ぎゃあぎゃあ言いながら歩く二人に手をやきながら、高耶は直江に思いを馳せていた。

誰かを自分の思い通りにする、それは甘美な誘惑だ。
一度権力を持った人間は、その魅力に酔いしれる。皆が自分を求めていると錯覚する。そしてやがて、その権力を失う事を怖れるようになる。今自分を求めている人々が、自分から離れてしまう日が来る事を。
怨将は、失う痛みを知っている。だからこそ権力を求めるのだ。失ったものが帰ってくることなどないのに、取り戻そうとするのだ。

 俺も同じだ。そう高耶は思った。
権力が欲しいわけじゃない。誰かを思い通りにしたいとも思わない。
けれど、お前を失うことを俺は怖れている。お前が俺なんか要らないという日が来る事を。
 お前を繋ぐ鎖をはずしたら、お前は俺から離れていくだろうか。
「直江。」
胸の奥でつぶやいた。
真田昌幸と戸隠。繋ぐカギは、きっと戸隠の洞窟にある。

 

続きは、また近いうちにアップしますね!

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