『萩』

月の美しい夜だった。
夜風が肌寒さを感じさせる。
「景虎さま。もう中に入られた方がよろしいのでは…」
跪いて声を掛けた直江を一瞥して、景虎はフンと鼻で笑った。
「このくらいで風邪などひかぬ。」
にべもない返答に、直江は黙って景虎の傍らに控えた。
執拗に言ったところで、素直に言うことを聞く人ではない。
もっと冷えてきたら、無理にでも連れ帰れば良いのだ。
そう思いながら、景虎の視線を追って月を眺めた。
冴えた光が空を照らし、流れる雲を白く浮かび上がらせる。
あたりには虫の音が聴こえるだけで、小さな村はしんと寝静まっていた。

黙っていても苦にならない。
こうして傍にいることが、いつのまにかとても自然なことに思えていた。
どのくらいそうしていただろう。
コトンと音がして、景虎の手から徳利が落ちた。
木にもたれて眠ってしまったらしい。
「景虎さま。」
呼びかけても起きない。
しかたなく肩に抱きあげ、宿にしているお堂に運ぼうとしたとき、景虎が目を覚ました。

「ん…直江か。降ろせ。自分で歩ける。」
「景虎さま。大丈夫ですか?」
言われて降ろしはしたが、とても大丈夫とは思えない。
けれど嫌がるのを無理に担ぐわけにもいかず、ハラハラしながら見守る直江を押しやって歩き出した景虎は、数歩もいかないうちに萩の茂みに倒れこんだ。

柔らかな紅の花びらが、一面に舞い散った。
「ああっ!…まったくあなたという方は!!」
思わず声を荒げて抱き起こした直江を、景虎はまた押し退けた。
「かまうな! 酔いが醒めればひとりで戻れる。」
だが、今度は直江が言うことを聞かなかった。
「そうはいきません! 一緒にいながら怪我をさせたとあっては、謙信公に申し訳がたちません。失礼つかまつる。」
言うが速いか、ぐいっと景虎を抱き上げた。

「この馬鹿者! 降ろせ! 降ろさぬか!!」
景虎がいくら暴れても、直江はしっかり抱いて離さなかった。
自分のことでは、けして人を頼ろうとしない景虎。
彼はいつも、必要以上に誰かを近づけることをしない。

寂しくはないのだろうか…
苦しくはないのだろうか…
いや。寂しくないはずがない。
苦しくないはずがない。
けれど、それでも誰を近づけることもできないなら…

私があなたに近づく。
私が傍にいる。
だから…
寂しさも苦しさも見せて欲しい。
強いあなたも。弱いあなたも。

あなたの傍にいたい。
ずっと…
「私には、あなたを守る使命がありますから。」
離れようともがく景虎に、直江はわざと冷静な口調で告げた。
本当は、使命感などではない。
だが今は、唯一その言葉が、あなたの傍にいられる理由になる。
月明かりに照らされた直江の足元で、萩がこぼれるような花を咲かせていた。

             2005年9月15日

このお話は、実はある方に2年前の秋に頂いた絵から、イメージして書いたものです。
倒れた景虎さまに萩の花びらが散って…  ああ。ここに載せられないのがホントに惜しい〜(><)
優しい逃亡者さん。また気が向いたら遊んでね〜(^^)

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