タイガースアイ 番外編『出会い』

気持ちの良い、秋晴れの一日だった。
免許をとったばかりの直江は、大学の友人と美ヶ原にドライブに来ていた。
紅葉のシーズンとはいえ平日なので人も少ないだろうと、運転練習を兼ねて訪れたのだが、快適なドライブを楽しんで到着してみると、そこは小学生でいっぱいだった。
「遠足か? やっぱ子供は元気いいな。」
子供好きな友人は、にこにこ笑って眺めている。
「これだけ広ければ、少々走り回ったって邪魔にはならないさ。」
そう言いつつも、小学校の先生にはなりたくないな。などと思いながら見ていた直江は、端のほうに立っているひとりの少年に目を留めた。

みんなから離れて、その少年はまっすぐ顔を上げて遠くの空を見ていた。
遠足に来た小学生のようだから、たぶん5年生くらいだろう。
背筋を伸ばしてすっくと立っている姿が、凛とした空気をまとっているようで、暫くそのまま見とれてしまった。
「どうしたんだ?」
声をかけられて、はっとして振り返った。
「いや、なんでもない。王が頭まで行こうか。」
と微笑んで、並んで歩き出したものの、なんだか心が落ち着かない。
肩越しに振り返って、もう一度少年を見た。

ふとこちらを向いた少年と、目が合った気がした瞬間、とくんと心臓がはねた。
こんなに離れているのに、目が合うなんてあるわけがない。
何を動揺しているんだか…。
直江は小さく溜息をつくと、王が頭へと向かった。

頂上に立って下界を見下ろす。
広がる景色に言葉をなくして、ただじっと立ち尽くした。
さっきの少年もこの景色を見たのだろうか。
いつのまにか、彼ならどんな表情をするだろうかと考えている。相手は小さな子供なのに。
もう一度会いたい。と思った。
できるなら、言葉を交わしてみたい。
自分よりずっと年下の子供に、憧れに似た感慨を覚えるなんて。

彼の姿を思い浮かべると、不思議に胸の奥が暖かくなる。
吹く風が真新しい空気を運んでくる。
生まれたての酸素をいっぱいに含んだ、清々しい山の香気を吸いこんで空を見上げた。
透き通った青が、全身に沁みていく気がした。

元の場所まで降りてくると、直江は少年を探した。
いない。もうどこかにいってしまったのか。
諦めて歩いていくと、木立の奥から、
「なんだよ!おまえにゃ関係ねえだろ。子供が出てくんじゃねえ!」
「いやああ・・やめてえ! 乱暴しないで!」
痴話ケンカにしては派手な声が聞こえた。

どうしたのかと覗いた直江は、思わず息を呑んだ。
あの少年が、ガラの悪い男に殴られて転がっていた。
「何をしてる! やめろ!」
飛び出して少年を背にかばうと、直江は男を睨みつけた。
「ああ・・ごめ・・さい・・。」
しゃくりあげて泣いている女と、憤然とそっくり返った男を見て、
「何をやってるんだ! 子供に暴力を振るうなんて!」
激しい怒りに肩を震わせ、直江は大きな声で怒鳴りつけた。

少年がふらりと立ちあがった。
切れた口の端についた血をぬぐうと、
「おまえ、何もしてねえ女を殴ろうとしてたろ。謝れ! その女に謝れよ!」
擦り傷だらけになった手で、男の手を掴んで見上げた。
「うるせぇ! だからおめえにゃ関係ねえって言ってんだろうが!」
思いきり振り払おうとした男の腕を、直江がグッと掴んだ。

「やめろと言っているだろう。」
優しげな顔に似合わない強い力に、男は青ざめて後ずさりした。
「悪かったよ・・・なんだよ、んなマジになるなよ。な?」
さっきまでとは打って変わった弱腰な態度で、男は逃げるように走り去った。

ヒックヒックと泣いている女の方を向いて、少年が言った。
「いつまでも泣いてんなよ。あんたは何も悪くねえんだから、さっさと行っちまえ。」
小さな体と吐く言葉が、見事にミスマッチだ。
けれどそこに、精一杯の思いやりが込められているのがわかる。
女はごめんねと頷くと、直江にも頭を下げて去っていった。

「大丈夫かい?」
差し出した手を少年はあっさり無視した。その背中に、
「大人相手によく頑張りましたね。」
と声をかけると、彼は驚いた顔で振り向いた。
「あの女の人を庇おうとしたんでしょう?」
微笑んだ直江の顔をじっと見つめて、
「そんなんじゃない。あいつに腹が立っただけだ。」
そう言った瞳には、怒りだけではない複雑な色があった。
直江は魅入られたように、その瞳を見つめていた。

「仰木くん! こんな所にいたの?」
先生らしい人が飛んできた。
顔を見て驚いてあれこれ聞く先生に、彼は何も言わなかった。
代わりに直江が説明すると、その先生は、
「…やっぱりおうちでのことがあるからかしら・・・」
と呟いた。少年は黙って前を向いたまま、一度も先生を見なかった。

やがて先生と一緒に歩いていく姿を見送る直江の胸に、ひとつの決意が生まれていた。

帰りの車の中で、
「俺…教師になることにしたよ。」
「え? おまえが? そんなこと今まで言ってなかったよな。」
「今日決めた。高校の教師になる。松本で…そうだな、英語にしよう。英語教師。」
あの小学校は松本市の公立校だった。仰木という少年は、やがて中学生になり、高校生になるだろう。
中学にはもう間に合わない。でも高校ならもしかしたら・・・。

こんな理由で教師を目指すなんて、不純もいいところだ。
しかも会える確証もないのに。
けれど、他に接点を思いつかなかった。
これなら会える確率も、努力次第で上げられる。
会いたい。そして言葉を交わしたい。
心に宿った彼は、直江を静かに見つめていた。

直江の賭けは、ずっと後で現実になる。
ふたりは未来で出会う。今はまだ誰も知らない未来で。

         2004年12月11日

これは『TIGERS EYE 11』で出す予定の、Tigers eye という本の番外編です。
主人公ふたりが本当の意味で出会う前の物語。
たぶん仰木くんは憶えちゃいません(笑)でも直江は・・・忘れるわけないよね(^^)
力も闇戦国もない、普通の現代人な彼らを、お楽しみ頂けると嬉しいです。
ちょうどこのサイトも明日で一年。私にとっても大切な「出会い」がたくさんありました!
心からの感謝を込めて・・・。 みなさん本当にありがとう!!!

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