◎実践登山講座◎
はじめてのアルプスへ。
西穂高・独標に立つ
 

     写真=梶山 正  文=山崎麻里  講師=棚橋靖

 ついに雪の北アルプスの稜線へ! 簡単な雪山に行ってはいたものの、まだまだ初心者の域を出ない私が、山岳ガイドの棚橋靖さんのリードで、西穂高・独標に登る機会に恵まれた。
 新穂高ロープウェイを乗り継ぐと、あっという間に雪山の玄関に到着。二一五六mの西穂高口駅に降りると、空気は冷たく、目の前には雪景色が広がる。早速スパッツを装着し、棚橋さんに服装チェックをしてもらい、ストレッチで体をほぐして出発。
 天気予報が芳しくなく心配していたけれど、なんとか晴れてくれている。見上げると西穂山荘が案外近くに見える。西穂岳が秀麗な姿で聳え立ち、そのざくざくとした稜線上に、ぽこっと三角のピークが見える。あれが目指す独標だ。
 フワフワサラサラとした雪を踏みしめながら歩く。オオシラビソやコメツガの原生林に雪がかぶっている。澄みわたった空気を吸い込むと、憧れの雪の北アルプスに胸が弾む。
 着込みすぎていたのかすぐに暑くなり、休憩して一枚上着を脱ぐ。手袋をポンと雪の上に放ったら、先生からチェック。「風で飛ばさないようにポケットに入れるといいですよ」。さらに地図を読んで現在地を確認。なかなか忙しい。
『ここから心臓破り』の看板で、小屋までの急登が始まる。樹林帯をキックステップでゆっくりと登る。途中、初老の夫婦が山々を眺めながら仲良く休憩している。なかなか素敵な光景だ。積雪量が少ないため、意外にあっさりと西穂山荘に到着した。
 ここからハーネスをつけ、ストックをピッケルに持ち換える。森林限界を越えて、いよいよ、北アルプスの稜線だ。
 時折強風が雲を連れてきて展望を遮る。棚橋さんに斜面の歩き方を教わりながら登る。森林限界のハイマツの尾根には雪が少なく、ところどころ岩が露出している。雪が堅くなってきたのでアイゼンを装着。フラットフッティングや、ピッケルの使い方、耐風姿勢など、教わることは山ほどある。棚橋さんの歩き方は美しく、技術を身に付けることは安全への道なのだ、と納得させられる。稜線は風の通り道となっていて、冷たい風が強く吹き付けてくる。頬や耳が冷たくて凍りそうだ。
 いよいよ独標が目の前に姿を現す。鎖のついた岩峰を見て緊張する。ここで、ロープを使うことになる。私は雪山でロープを使うのは初めてで、コンティニュアスにすると二人揃って落ちていったりしないかと心配になってしまう。
「間のロープがたるんでいると滑落したときに止められないのでピンと張っておいてください。体勢を崩したときにすぐ止めます」。それを聞いて少し安心。岩の上にアイゼンを乗せ、両手を使いながら慎重に登る。
 ついに独標二七〇一mに到着。棚橋さんと握手を交わす。ちょうど雲が切れて青空が広がる。誰もいない山頂で神々しい景色を眺めるのは最高に気分がいい。天候が良ければ行く予定だった西穂高岳への稜線は、岩々としていて怖そうだが、いつか行ってみたいと思う。そして白い北アルプスの山々が一望だ。前穂高、霞沢岳、焼岳、その向こうに乗鞍岳、白山……先生の展望解説はよどみない。遮るもののない狭い山頂は強風でとても寒い。テルモスの温かい紅茶がおいしい。
 暗くなる前に下山しなければならないので、惜しみながら独標を後にする。ロープを使うときは、登りは初心者が後になり、下りは初心者が最初に降りるそうなので、私が先になり慎重に岩を下る。雲が切れて独標が青空に姿を現すたびに歓声をあげ、ふりかえり、ふりかえり下りてゆく。左手を見れば上高地の山小屋の赤い屋根や大正池が見え、右手には夕陽に染まる雲海と笠ケ岳の美しさにしばし立ち止まる。前方には焼岳や乗蔵岳。なんて幸せなんだろう……とドラマティックな景色にひたる。
 ケルンに到着し、アイゼン、ロープをはずしてほっとひと安心する。そして薄暗くなってくる頃に無事に小屋に着いた。厳しい雪山のあとだけに、スタッフの温かい笑顔がうれしい。
 翌日はのんびりと下山。途中には播隆上人の像があり、槍ケ岳や穂高岳の方を指差している。厳しい雪山が古くから人々を惹きつけてやまなかったのは、昨日の景色のような荘厳さがあるからかな、と思いながら帰途に着いた。
 冷たすぎる空気と風……、緊張した白い稜線。雪山は怖く、そして面白かった。次は仲間と一緒にこの稜線に立ちたい。新しい山の扉が開いた気がする。
1 入山前にアイゼンチェック
 アイゼンを靴の大きさに合わせておくのは入山前の大切なポイント。緩みがないようしっかり調節しておくこと。ビスや針り金などの修理・調節用具も万が一のために携行しておこう。いざ登ろうという時になって、すぐにアイゼンがはずれるなどというトラブルは、滑落事故につながりかねないので事前に十分注意しておくこと。

2 計画の確認。登山届
 雪山に限らず計画書を作っておくのは登山の基本。そしてせっかく作ったものはきちっと入山口に提出しておくこと。万が一の事故の場合でも、計画書が提出してあれば、メンバーやコースを救助する側が事前に把握できるからだ。また留守本部を引き受けてくれる人(山岳会の仲間など)を決めて、計画書を提出しておくこと。入山前には気象情報のチェックも忘れてはならない。
3 これが雪山登山スタイル
 変化の激しい日本の雪山でのウエアリングはこれ。風が強ければゴアのジャケット。暑ければ行動着は保温と速乾の中間着でよいが、中厚の手袋、帽子は必ず耳の隠れるものなど、全身を覆うことができる衣類を携行する。また、ピッケルを肩バンドでつけているなら、最初にピッケルをかけてからザックを背負う。そうしないとザックを下ろすたびにピッケルバンドもはずさなければならないからだ。
4 小物を散らばさない休憩
 夏山のように、小物をつい周囲に置くクセは雪山ではバツ。濡れと風による紛失は、命とりになることもある。無くさないよう必ずポケットに入れるなど細かな注意が必要。雪山ではこうした配慮が登山の成否に関わってくるので絶えず気をつけていなければならない。休憩は安全な場所で行うのはもちろんだが、休憩中は地図で現在地を確認しておくこと。
5 ピッケル・アイゼンで登る
 雪面が硬くなってきたら、アイゼンとピッケルでの登行に変える。危険な箇所でアイゼンを装着することがないよう早めに対応するのがよい。例えば樹林帯から吹きさらしの稜線に出るときには、雪面の状態が変わることを想定してアイゼンを装着するなど、先の状況を予測しながらの行動判断が必要となる。斜面上では落石等上からの危険に備えるため上を向いて装着する。
6 ロープを使う
 行動中危険や不安を感じたら迷わずロープを出そう。特にパーティー内で初心者がいる場合はその人の力量に合わせてロープでの安全確保が必要。おっくうがらずにロープを使用するためにもふだんからロープの扱いに慣れておきたい。スタカット(隔時登攀)、コンテニュアス(同時登攀)などのシステム、確保方法を理解し、技術を身につけておくことが大切。
7 強風時の行動と休憩
 雪山では強風時でも行動しなければならないことが多々ある。強風時に休憩する場合はなるべく風の当たらない場所を選び、ツエルトなどをかぶって直接風を受けないようにする。一般に風速1m/秒増すごとに体感気温は1度下がるのといわれており、強風を受け続けることは体力低下につながる。また身体が濡れていると熱の放射が促進されるので速乾性の衣類を着用すべきだ。
8 これが行動中の装備
 独標までのピストンで持って行ったザックの中身。必要最低限のものは持つが、必要以上のものは持たない。軽くシンプルに。ザイル9mm×40m、スリング、ヌンチャク、カラビナ×2、補助ロープ5mm×7m、ハーネス。医療・危急時セット。防寒は羽毛の薄手ジャケット。あとはコッフェルとガスボンベ、テルモス、手袋、行動食、ヘッドランプ、サングラス、小物、ツェルト。

プロフィル
たなはし・やすし  1963年岐阜県生まれ。学習院大山岳部OB。JAGU所属上級登攀ガイド。90年代からヒマラヤの高峰、岩壁にほぼ毎年通う。93年マッキンリー、98年ナンガパルバット単独、2000年チョンムスターグ初登頂など。湯河原から奥多摩・秋川に移り、ガイドとクライミングにあけくれる日々。
DATA
アクセス●JR松本駅(バス2時間)新穂高温泉。2800円で1日2便。もしくは高山駅(バス1時間30分)新穂高温泉。2100円。松本電鉄0263-35-7400 濃飛乗合自動車0577-32-1160。マイカーは長野自動車道松本ICから国道157、471号経由で65km。
新穂高ロープウェイは、新穂高温泉(5分)鍋平高原(徒歩3分)しらかば平(7分)西穂高口。往復2800円。8kg以上の荷物は300円の別途荷物代が必要。奥飛観光開発0578-9-2252。なお今シーズンから、悪天でロープウェイが運行中止の場合、下山者は西穂山荘か西穂高口で待機。徒歩での下山は遠慮してもらう通達が出でいる。
参考タイム●西穂高口(1時間30分)西穂山荘(1時間40分)独標(1時間10分)西穂山荘(1時間)西穂高口。天候、積雪で時間は変わる。
2万5千図●笠ケ岳、穂高岳
宿泊●西穂山荘0263-95-2506。1泊2食8800円。水は1・300円で販売。テント場あり
山行日●2004年12月3日〜4日

第一特集  雪山を楽しむために 技術と装備

<<岳人 2005年2月号>>