資本主義経済

去年のことになりますが、我が家の電子レンジが壊れてしまいました。ナショナルのWillレンジです。かれこれ5年使ってますが、タイマーがダイヤル式で余分な機能が付いてなくて非常に使い易く、とても気に入っていたのです。

当時26,000円くらいで買ったんですけど、今回サービスの人に来てもらい、修理見積もりをとったところなんと25,000円かかるとのこと。

とりあえず代わりを探そうとヨドバシ・ドットコムで調べていたら、「電子レンジ」というカテゴリーが無く、「オーブンレンジ」になっていました。オーブン機能は当然付いてるということらしいです。
オーブンはデロンギのがあるので必要ないし、デザインもロクなものがない。新しいのを買うとなると今使ってるのはゴミになる。プチエコロジストの僕としてはそれは避けたい。結局、25,000円払って修理してもらうことにしました。
最終的には向こうの対応に手落ちがあり、交渉の末、最終的には6,000円程度で済みましたけど。

以前買ったポピュラーサイエンスVol.58でガンダムの監督の富野由悠季がこんなこと言ってました。

(私は)資本主義経済の中の問題を悪いと言い続けていますが、実は多くの人が同様に今の経済に意義申し立てをしています。にもかかわらず、クーラーや液晶テレビは買い換えてもいいと考えています。この時点で愚民なんです。

いや、まさにその通り。僕らは愚民なのです。それを自覚してる人が驚くほど少ない、というところが問題なのではないでしょうか。

前にも別の所で書きましたが、日本の年間の食糧廃棄量が1200万トンで、世界中からの難民などへの年間の食糧援助量が1000万トンに満たないといいます。それだけの量の食糧を廃棄しておいて、日本の食糧自給率が40%だ、などとぬかします。(ちなみに日本の食糧の輸入量と廃棄量は世界一だそうです。)

たかだかコーヒー程度のモノの販売競争のために南米の農民の生活を圧迫し、結果南米の森林破壊を促進している。(農民は森林を切り開いて耕作面積を広げるしかないから)

手入れをキチンとすればまだ数十年はもつであろう、日本の気候に即して建てられている美しい家屋を取り壊し、山を切り開いて、養鶏所の如き醜いマンションを次々と建てる。これも木材は海外から輸入し、世界の森林破壊を牽引している。代わりに日本の山林は管理されずに荒廃し、杉やヒノキは伐採されず、花粉を飛ばすまでに成長してしまっている。

おかしな言い方になるけれども、これらのことを「実現」するために、食料品やコーヒー豆の輸入業者や建設業者の数多くの日本の従業員達が日夜どれ程の労力を費やしていることか。
そして、このようにして無駄をどんどん生産していかないと、僕らは生活できないという奇妙な現実。
雪だるま式無駄生産システムが資本主義経済の本質なのではないか?

人類だって動物の一種です。僕ら人類の目的は人類の恒久的繁栄であるといって差し支えないでしょう。人類が生き延びるためには地球環境の維持が欠かせない。エコロジーとはあからさまに言えば、他ならぬ人類のためのものだと考えています。他の生物の生きる権利を考えてのことではないんです。「おれら人類のためにおまえらも適度に生きてもらわないと困る」、というのが本当のところでしょう。キレイ事じゃないんです。でも現実的で、かしこいやり方です。昔の人はこれを自然にやってた。やらなければ生きられなかったから。そして決して思い通りにならない、人間とは生きるサイクルの異なる自然に対しては、長い目で見てその特質を把握し、ずっと先の未来を見据えて対処しなければならない。林業に代表されるように、経験と知恵を子孫に伝えていくことにより、数代にわたりある程度自然をコントロールし、共存してきた。

しかし人間には「刹那的な欲」が過剰にある。現代の資本主義はこの「欲」を糧とし、さらにこの欲をあおり立てる仕組みになっている。
この仕組みはエコロジーとは本質的に相容れないような気がします。

人類の恒久的繁栄といったけど、それってつまり、自分の子供にいい環境を残してやりたいってことです。当然孫にだっていい環境を残してやりたい。その子の子供のそのまた子供にも。ごくごく自然な発想です。昔からある考え方ですが、現代日本社会ではこれが希薄になっている。祖先から受け継いだものは子孫にも伝えていかなければならない。そんなこと現代人は考えていられない。自分とせいぜいその子供くらいで精一杯。その先のことなんか知ったこっちゃない。これが正直な所でしょう。
国家の政策すら、同じように短いスパンの見通しにしか基づいていないのが現実です。

資本主義経済によって得られた利益は計り知れない。でも、その利益に関して一言いわせてもらうなら、「もうそんくらいでいいでしょう」ということです。

先進国では食の不安はもうほとんどない。貧困のための飢え死になんて日本では考えられない。病気に関しても、今では自然界の病原菌なんかよりも生活習慣病のほうがずっとこわい。何でも食べられる環境に住んでいる我々なのに、偏った食生活を送る人が多すぎる。でも健康は維持したい。そこでサプリメントで栄養を補填しようとするけど、サプリメント単体では肉体に吸収されなかったりする。
そうしたばかばかしいことが繰り広げられている一方で、後進国ではすさまじい貧困が国民を襲っている。

これから先は、これまで得られた利益をどのように持続させるか、またどのように世界中に配分していくか、ということに脳味噌を使うべきじゃないのか?

僕らは今狂った暴走列車に乗っている。列車の行き先には何があるのか?いずれこの列車は脱線して破滅する。分かっているけど、どうしようもない。暴走している列車から飛び降りれば死は免れない。僕らはこのまま指をくわえて乗客をやってる場合ではない。この狂った列車のスピードを落とし、軌道修正をしなければならない。走り続ける列車に乗りながらやらなければならないところが難問だけど、とにかくひとりひとり、出来ることをやらなければならない。

モノを大事に長く使うというのは、ブレーキのひとつになりうる。これが愚民としての僕に今出来ること。これから先の社会をどうすればいいのか。これは愚民にはちょっと考えることが出来ない。いつまでも愚民でいるわけにはいかないのですが、脳の足りない僕にはなかなか難しい。まだまだ勉強が必要です。

(2006.05.06)