瀛州離歌     


      成城高等学校昭和十七年三月

        伴奏:TAKECHANバンド 

 1、多摩のせゝらぎ滾々と
   往きて帰らぬ泡沫の
   消ゆる名残を傷みてや
   夜をしぬびなく葦間風

 2、薄紅の夢の花
   舞美わしきハイデルに
   芽吹きそめにし恋心
   椿の如く燃えにしを

 4、瀛州の宴仙人が
   ひとみ遥かに見さくれば
   今宵別離の感傷に
   泣けとの如く月冴ゆる

 5、嗚呼さらば行けいとし友
   多摩の川辺の歌声は
   喜多見ヶ丘をおりて行く
   君を祈らん末遠く
        

 2番の歌詞にある「ハイデル」について、成城高・村瀬先輩にお尋ねしたところ、
概要次のとおりの返事をいただきました。参考の為、転記します。

 ハイデルというのは成城創立時、喜多見、狛江、の向こうに多摩川が見通せる成城一帯の高台が雑木林で
そこを成城生がハイデルの丘と呼んで散策、逍遥の場としておりました。そのため住民もハイデルの丘と呼ぶようになったのです。
ハイデルはハイデルベルグから来ているのですが、それが「アルト ハイデルベルグ」から取ったのか、学園都市「ハイデルベルグ」
から取ったのか、はたまた世界最古の大学「ハイデルベルグ大学」からとったのか定かではありません。旧高生はそこらへんを
一緒にして、なんとなくロマンチックにイメージしたのかも知れません。この歌は放校される(多分思想問題か?)友人を送る歌
として作られたのですが、その後は卒業生を送る歌、ハイデルの丘を散策する逍遥歌としても歌われました。
「寮歌としては珍しい中身だが、成城らしいね」とよく言われます。