※このコンテンツでは家庭用ゲームの歴史を大まかに紹介しています。携帯用ゲームは申し訳ないのですが現在は殆ど取り上げてい
ません。
テレビゲーム大国日本、しかしテレビゲームの歴史は実は日本ではなくアメリカから始まりました。
1960年代当時、マサチューセッツ工科大学の大学院生が、全米ほとんどの大学のコンピューターに搭載されているといわれるほど人
気を博した「スペースウォー」なる宇宙戦闘艇と円盤の戦闘をシュミレートしたコンピューターゲームを発明。
(※この当時のPCは大型かつ高価な品物で一般家庭には普及していなかった。)
このスペースウォーの魅力に取り付かれた一人、ノーラン・プッシュネルがスペースウォーに改良を施し、
「コンピュータスペース」と言うコンピュータゲームを作りました。コンピュータスペースは19インチのモノクロテレビに集積回路
を接続したもので、このゲームしか遊ぶ機能しか付いていません。これはつまり、機能を特化した結果、フル装備のコンピュータ
に比べると安価に作れる特徴を持っていたのです。そしてこれこそが現在の業務用ゲームの原型となります。
その後、プッシュネルは友人と二人で250ドルずつ出し合って会社を設立。そして「ポン」というピンボールゲームを作りまし
た。1972年11月に完成したポンは片手で操作できるから、もう一方の手でビールが飲めるという売りで爆発的にヒット。
のちに会社名をアタリ社と名づけ(アタリという名前は囲碁の当たりから取られたとの事)、家庭用ゲームの原型ともいえる
「アタリVCS」を作り出しました。
1977年に売り出されたアタリVCS。このゲーム機は従来とは違う発想で作られていました。それは、カセットで供給されるソフト
を差し込むことでさまざまなゲームを楽しめるという、現在の”ゲームに特化したコンピュータ”そのもので、
アタリVCSは売れに売れ、ブームの頂点では1年だけで約700万個、1981年までの総計では約1200万個が売り出され
全米総世帯数の15%に及ぶほどでした。
しかし、そんなブームにも陰りが見え始めます。アタリVCSが普及すると群がるようにサードパーティ(ソフト開発会社)が参入し粗
悪なゲームが市場に出回り始め、そこにノウハウを持たない他業種までが金脈を求めてサードパーティーとして参入。
いよいよ愚にもつかぬゲームが氾濫し出し、ユーザーの信用をなくしてしまいました。
またアタリVCSに参入していたメーカーのいくつかが参入後一年足らずで撤退・倒産し、ゲームソフトを捨て値で販売。
アタリ社自身も作りすぎたソフトの処分すべく大幅なディスカウントを行った模様。この影響でソフトに対する価値観が下がり、
他社もソフトを値下げせざるをえない悪循環な状況になり、参入企業の撤退・倒産が増加。
さらに同時期、パソコンの価格競争が激化しパソコンの価格が低下し、アタリVCSより高性能で価格も大差の無いゲームパソコンが
手に入るようになり、アタリVCSとパソコンのシェアが逆転。
アタリ社は巻き返しを図ろうと新型ゲーム機「7800」を発売しようとしましたが、パソコン市場の影響と、コレコ社の新鋭ゲーム機
「コレコビジョン」が既にアタリのシェアを大きく奪っており、価格設定に折り合いがつかなくなって発売したくても出来なくなり
ました。こうして一時栄華を極めたアタリ社及びアタリVCSの市場は急速に縮小していきます。(俗に言うアタリショック。)
ちなみにコレコ社もコレコビジョンの上位互換となる「ホームコンピュータ・アダム」で躓いてしまい、
他の玩具業務にシフトチェンジ。1984には陰りの見え始めたコレコビジョンの製造を終了しました。
アタリ社をはじめとするゲーム産業がアメリカのなかで急速に失速していくさなか、逆に日本ではコンピュータゲームが徐々に
頭角を現し始めてきました。株式会社タイトーが1973年、アタリ社のポンを模倣したと思われる、日本初の業務用ゲーム
「エレポン」を発売。この時タイトーを始め、トランプ、花札から玩具(光線銃など)なども販売していた株式会社任天堂、
ジュークボックスや業務用アミューズメント機器販売メーカーの株式会社セガ・エンタープライゼスもポンの模倣品を発売
していました。
その後1970年代中頃にタイトーの業務用ゲームの「ブロック崩しゲーム」が主に喫茶店等に設置されブレイク。任天堂からは家庭用
コンピュータゲームの「カラーTVゲーム」、セガからは業務用ゲームなどが販売されヒット。1978年にはタイトーが日本中を虜にし
た爆発的大ヒットの業務用ゲーム、「スペースインベーダー」を発売。スペースインベーダーは社会現象にまでなり、日本
でもようやくコンピュータゲームが娯楽の一つとして認識されました。
そして1983年7月15日、任天堂から「ファミリーコンピュータ」と呼ばれる家庭用コンピューターゲームが発売されました。
このファミリーコンピュータ(以下ファミコンと略す)は設計思想がアタリ社のアタリVCSと同じく”カセットで供給されるソフト
を差し込む、ゲームに特化した安価で高性能なコンピュータ”なのですが、アタリ社といくつかの違う点がありました。
中でも違うのは商標登録による法的保護を強化した点と(商標登録については
こちらを参照)、
参入メーカーに厳しいライセンス条件を出した点です。その内容ですが、まずゲーム内容について任天堂の審査を受けること、
年間の製作本数を三本までにすること、そしてROMカセットはすべて任天堂で作りその際にロイヤリティを支払うこと。
厳しい条件でありましたが、それでも多数の会社がファミコン市場に参入。ソフトの質も保たれ、また様々な
ヒット作を生み出しました。そうしたことから市場管理は大成功を収め、任天堂に巨大な利潤をもたらすシス
テムとなり、結果ゲーム市場は任天堂の独走態勢となりました。
ファミコンの主なヒット作は業務用ゲームで大ヒットした「ドンキーコング」や株式会社ナムコの「ゼビウス」、
株式会社ハドソンの「ロードランナー」、PCから株式会社エニックスの「ポートピア連続殺人事件」などの移植作から、
ファミコンオリジナルの作品では任天堂の「スーパーマリオブラザーズ」、エニックスの「ドラゴンクエスト」など
が挙げられます。
さらに昭和64年(1989年)4月21日に発売した携帯用ゲーム機「ゲームボーイ」&ゲームボーイ用ソフト
「テトリス」でヒット。勢いを得た任天堂は平成2年(1990年)11月21日、ファミコンをはるかに凌駕する性能を持つ
「スーパーファミコン」を投入。ファミコンに飽き始めていたユーザーを見事スーパーファミコンユーザーに移行させ、
さらなる独走状態に入っていきます。
ところで、テトリスとスーパーファミコンにはちょっとしたエピソードがあったりします。
ゲームボーイ等で爆発的ヒットとなったテトリスですが、当初はセガのアーケードゲーム版のテトリスを自社の家庭用ゲーム機
メガドライブに移植して発売しようとしていました。(ちなみにセガのアーケード版テトリスも、当時の版権元であるソ連の外国貿
易協会(ELORG)からアーケード版の権利を取得していたアタリ社とライセンス契約して開発販売していました。)
そこを任天堂が、テトリスの版権元であるELORGから家庭用ゲーム機でテトリスを独占販売出来る権利を取得し、セガの家庭用ゲーム
機版テトリスを発売中止に追い込みました。これを俗に「テトリス事件」と呼びます。
同じく大ヒット商品のスーパーファミコンには家電メーカー大手のソニーの技術が多く使われており、
スーパーファミコンCD-ROMドライブ (CDのゲームが遊べるためのアダプタ。ディスクシステムのような物) もソニー中心で
開発していました。またソニーはスーパーファミコンとCDアダプタの一体化したハードを発売しようともしました。
このハードの名前は「プレイステーション」。そう現在市場に出回っているプレステとまったく同じ名前です。
プレイステーションが発売されるとスーパーファミコンはCD-ROMアダプタというおまけ的扱いとなり、逆にプレイステーションが
本命機となってしまうかもしれない…が、これはシャープから発売された「ツインファミコン」の前例からさほど
脅威とは考えていなかったようです。もっと大きな脅威はこの後に発覚することになります。
CD-ROMアダプタ及びプレイステーションの発売が近付くとCD-ROMのロイヤリティー (ソフトメーカーがハードメーカーに支払う使用
料の事) が殆どソニーに渡ってしまう等、ソニー主導となる構図になる事に任天堂アメリカ社が気付き、もしこのまま発売されたら
結果的に市場が乗っ取られることになってしまう。この件は任天堂の逆鱗に触れ、任天堂はソニーとの共同事業であるCD-ROM事業を
白紙撤回。64bitゲーム機をヨーロッパのシリコングラフィックス社と共同で開発することになりました。
これがのちの「Nintendo64」となります。
この事件でプレイステーションプロジェクトは中止となり、ソニーは大きな損失を負う事になりました。
当然任天堂との仲は犬猿の仲に。しかしソニーは倒れたままではありませんでした。久多良木を代表とするソニーゲーム
部門は復讐を込めてか、のちに出すゲーム機のコードネームを「PS-X」とし、打倒任天堂のため立ち上がることになります。
さて、ここで一度話を区切り、ファミコンからスーパーファミコン時代で任天堂以外の主な日本の家庭用ゲーム機とメーカーを取り
上げてみましょう。
「株式会社セガ・エンタープライゼス」
もともとアメリカの会社であったセガは経営失敗し、昭和59年日本法人は大手コンピュータソフトメーカーCSKの傘下に。
上記の通り業務用ゲームを展開していましたが、ファミコンと同じ年に8ビットゲーム機「SG-1000」が発売されました。
しかし結果はファミコンの圧勝。ファミコンに勝つため、「マーク3」など8ビットの家庭用ゲーム機を出しつづけ、ユーザーの支持
を受けはしましたが、やはりファミコンの牙城を崩す事はできませんでした。
1988年(昭和63年)10月29日に16ビットの家庭用ゲーム機「メガドライブ」を発売。翌年の1989年(昭和64年)9月にアメリカで
メガドライブは「ジェネシス」と言う名で発売されました。
日本では目立たずともアーケードからの移植作などで高い評価を得て、ゲーム機の一つと認識されたメガドラ
イブですが、アメリカでは本体価格とアメリカ人受けの多くのソフト、特に「ソニックザヘッジホッグ」
が大いに受けて日本以上に普及しました。その結果アメリカでの16ビットゲーム機対決でスタートダッシュ時の
セガは任天堂と互角の勝負を繰り広げたのでした。
その後「スーパーNES」(アメリカでのスーパーファミコンの名前)が追い上げ、首位を奪還されたものの、
ジェネシスはスーパーNESといい勝負を繰り広げていきました。
のちに「スーパー32X」と言うメガドライブに接続すると32ビット級のゲームができるオプションを発売する
も、本命の次世代機の登場により普及する事無く、メガドライブと共に衰退。後続機の「セガサターン」
へバトンタッチしメガドライブは市場から撤退。
「株式会社NEC ホームエレクトロニクス」
ファミコンの牙城を崩すべく、NECとハドソンが手を組み、1987年10月23日に8ビットの家庭用ゲーム機
「PC-エンジン」を発売。8ビット機とは思えぬ映像・音の美しさはコアユーザーの心をキャッチ。
ゲームソフトの形状はカセットではなくカードのような形式のHuカードを採用。ソフトは実質ハドソンが主導
権を持っており「桃太郎電鉄」「ボンバーマン」「天外魔境」と言ったヒット作を、ハドソン以外ではファミコ
ン時代の有力メーカーから多数のヒット作を出し続け多くのユーザーの獲得に成功。任天堂のライバル機として
台頭していきます。
またいち早くCD-ROMを採用しゲームに声やアニメの要素を取り込んだり、拡張機能を充実させるなど様々な試み
をしたチャレンジゲーム機として高い評価を得ました。
任天堂の独走が続く中、1994年(特に同年末に)、様々な会社から一斉にこれまでの家庭用ゲーム機とは一線
を駕する性能を誇る次世代のテレビゲーム機が発売されました。俗に言う次世代機戦争の幕開けです。
まず始めに、米の3DO社と共同で家電メーカー大手松下電器から1994年3月20日に「3DOREAL」が発売され
ました。しかしハードの価格が非常に高く、ソフトが松下系電器屋を中心に置かれ本来ゲーム購入層の集まる
ゲームショップに全然置かれない、日本人受けするキラーソフトがないなど空回りが続き結果初陣は惨敗という形で
終わりました。
その後、セガから1994年11月22日にセガサターン(SS)が、
ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)から1994年12月3日に「プレイステーション」(PS)が、
NECホームエレクトロニクスからPC-エンジンの後継機として1994年12月9日に「PC-FX」が、
後れて任天堂から1996年6月23日にNintendo64(N64)が発売され、本格的な次世代機戦争時代に突入します。
しかし、先にも述べた通り真っ先に3DOが、続いてPC-FXが脱落。PC-FXの敗因は、2D(特にアニメーション)機能
は強いがポリゴン機能が無く本格的な3D表現が出来ないと言う時代に逆行した性能だった点とメーカーを取り込
めなかった点にあり、少量のマニアックなソフトしか出ず、極一部のユーザーにしか受けませんでした。
そしてPC-FXを最後にNECは家庭用市場から撤退。家庭用ゲーム機の歴史に幕を降ろしました。
3DO、PC-FX亡き後、セガのSS、SCEのPS、任天堂のN64のデットヒートととなり、
次世代機戦争初期から1995年年末辺りまでは、SS陣営が「バーチャファイター」など独自のアーケードゲームの移植効果で
PSより優勢でしたが、PS陣営は任天堂に不満を抱くメーカーや任天堂と方向性の違うメーカーを高待遇で引き抜きを持ちかけ、
ナムコやスクウェアといった有名メーカーを獲得。初期はナムコのアーケードゲームの移植作でセガに対抗し、そしてスクウェアの
超人気作「ファイナルファンタジー7」の発表で一気に優勢に転じます。さらにカプコンのサバイバルホラー
「バイオハザード」のヒットやライトユーザー向けの宣伝のヒットなどで空前のPSブームとなり、国民的ゲームソフトの
ドラゴンクエストの発表・発売でその差は決定的に。
出遅れた参戦したN64は、スーパーファミコン時代までのサードパーティーをSS、PS陣営に殆ど持っていかれ、任天堂以外のメーカー
のソフトが壊滅状態となり任天堂ファンやファミリー層以外にアピールする事が出来ず、PS人気を覆す事もなくハードの普及率は
スーパーファミコン時代ほど振いませんでした。
しかしそれでもSS陣営からは10〜50万本クラスのヒット作が、N64では50万本〜100万本を超える大ヒットソフトが何本も出るなど
一強皆弱とは異なる「三強時代」となり業界全体が活気付いていました。
ちなみにアメリカではPSがトップ、続いてN64が人気で、セガサターンはスーパー32Xと共倒れとなりました。
PSが国民機と親しまれる中、苦戦続きのセガは巻き返しを狙ってこれまでのゲーム機とはかけ離れた高性能と
インターネット機能を標準搭載した「ドリームキャスト」を1998年11月27日に発売。しかし噂のプレイ
ステーション後継機に翻弄され、立ち上げ時の本体台数とキラーソフト不足、PSの二番煎じの宣伝、多数存在す
ると言われるコアユーザーを切り捨てる戦略等が仇となりユーザー離れが加速。
そして2000年3月4日にSCEから噂のDVD再生機能とPS用ソフトの互換性を付けた「プレイステーション2」
(PS2)が発売。圧倒的人気のPS2からDCはいよいよ販売が振るわなくなり、2001年1月31日にハードの販売を中止し
ハード業界から撤退。セガの長い家庭用ゲームの歴史はここで幕を閉じる事となりました。
しかし「ファンタシースターオンライン」を始めとしたネットワークゲーム事業を成功させた実績は
今なお評価されています。
PS2に遅れて2001年9月14日に任天堂から「ゲームキューブ」(GC)が、2002年2月22日に海外からの刺客、
PC用のOS「Windows」で有名なマイクロソフトからPS2と同じくDVD再生機能(発売当時は別売りのオプ
ションを付けないとDVDを再生できなかった)とハードディスクドライブ(HDD)とブロードバンドアダプタ(BBA)
を標準装備している「X-box」が発売されましたが、かつてのファミコンからスーパーファミコンのよ
うにPS人気をそのまま移したPS2がぶっちぎりのシェアを獲得。
GCはN64同様任天堂ファンや多人数向けの路線に加え、N64の反省点から他社メーカーのソフトも強化。
中でもカプコンのバイオハザードを独占供給するなどコアユーザーへのアピールも示しました。
しかし肝心の任天堂製のゲームが思いのほか奮わず、他社メーカーはやはりPS2に力を入れ、
カプコンもバイオハザード独占供給を撤回。セールスポイントに欠けたまま回生策も無くズルズルといき、
結果N64を下回る任天堂ハード史最低の普及台数となりました。
X-boxは日本の事情をまるで無視した展開と初期不良問題、慢性的なソフト不足で3DO以下、PC-FX並の普及率で惨敗。
海外でもPS2がトップシェアでX-boxはPS2に迫る勢いで成功しています。GCは海外でも不振に終わりました。
このままSCEとPSの天下と思われていた中、PS時代に出せば売れたSCEのゲームもライトユーザー離れか「みんなのシリーズ」や
「グランツーリスモ」といった一部以外は売れ行きが鈍くなり、サードのソフトはコーエーの「無双シリーズ」やカプコンの
「モンスターハンター」など意欲的な作品が出つつも、それらのソフトも含め安易な続編物が多く、飽食気味なムードが漂い、
圧倒的なシェアを誇るPS2も徐々に徐々にソフトの売れ行きに暗雲が立ち込めます。
そんなゲームバブル崩壊とささやかれてきた中、2004年12月2日に発売された任天堂の携帯ゲーム機「NINTENDO DS」(DS)が
大ブレイク。二画面とタッチペンを使った独自性が大いに受け、その機能をフル活用した「脳を鍛える大人のDSトレーニング」
等、学習タイプタイプのソフトが非ゲーム層を取り込み、「NEWスーパーマリオ」や「テトリスDS」、「どうぶつの森」などで
老若男女幅広いユーザーを獲得。その勢いは留まる事を知らず、携帯ゲーム機市場が家庭用ゲーム機を喰らう逆転現象まで起こりました。
家庭用ゲーム機もこのまま手をこまねいている訳ではなく、まずMSが高性能PCにも劣らない性能を持ったX-boxの後継機「XBOX360」
を2005年12月10日にいち早く発売。SCEは巨額の費用を投じて開発した次世代プロセッサCPU「Cell」と、次世代メディアのブルーレイ
ディスクを登載した「プレイステーション3」(PS3)を2006年11月11日に、任天堂はDS同様これまでとは異なる遊び方を重視し
リモコンタイプのコントローラーで手や体全体を使う体感型ゲームの「Wii」を2006年12月2日に発売。
先行発売したXBOX360は、海外、特に北米ではFPSなどで絶好調ですが、国内ではあいも変わらず見当違いの宣伝や国内向けキラーソフトの
不足、また故障率の高さなどもあって先代Xboxの負のイメージを払拭できず先行逃げ切りに失敗し、大苦戦。
2006年11月にHDDを外した廉価版を、2007年10月にはHDDを120Gまで増量した上位版などニーズに応じた本体を用意し、
テイルズオブシリーズやスターオーシャンシリーズなど国産の人気RPGなどを取り込み巻き返しを狙い国内100万台を突破こそしましたが、
健闘振るわず先の2タイトルはいずれもPS3に移植される始末。
2009年9月に薄型PS3の対抗しHDD120G版を1万円値下げの29800円にしたにも関わらず本体の売れ行きは低迷のしたまま、
ソフトも伸び悩みが続きます。更なる梃入れとして、2010年6月にはHDD250GBの新型の本体や4Gメモリの19800円の廉価版の本体を用意し、
また同年11月には体全体の動きを読み取り遊ぶ新世代の体感型装置「キネクト」を発売。
しかし残念ながら国内ではキネクトをもってしても巻き返しにはならず、360の国内需要は更に冷え込んでいるので今後も苦戦必須と思われます。
PS3はブルーレイディスクやCellの影響で初期の本体価格が4万5000円〜約6万円と非常に高額となり、またPS2の数倍に跳ね上がる開発費と
開発の難しさから国内外問わず軒並みユーザーやメーカーの評判が悪く、スタートダッシュ以降動きが鈍くなり、国内ではWiiに大差を
付けられ二番手止まり、海外ではハードシェアが最下位に転落。PS2までの勢いは微塵も感じません。
かつてのマルチメディア路線の多様化と高級思考では売れないと判断したのか、「PS3はゲーム機」と強調し、2007年11月にPS2との互換性
を切ったHDD40G版をオープン価格に、2008年8月にHDD80G版を39800円と手が届く範囲の価格にして巻き返しを狙い、人気シリーズの
メタルギアソリッド4などのタイトルで奮闘。
続く梃入れとして2009年9月に本体を小型化しHDDを120Gまで増量した新型を一気に1万円値下げして29980円で販売。9月だけで国内30万台以
上を売上げ、遅れた大波に乗って盛り返してきてます。29800円の値下げ効果で以後国内ではWiiと拮抗したり、据置きでは最も売れるなど
本体の売れ行きは好調ですが、人気タイトルのFF13やGT5等の売れ行きは過去のシリーズのようには伸びず、他のタイトルも本体の勢い程
の恩恵は余り感じられません。本体の売れ行きは2011年に入って更なる値下げにより好調なので、今後も人気タイトルを用意すれば
まだまだ伸びる可能性があると思われます。
そんな折、2011年4月にプレイステーションネットワーク(ネットワーク対戦や、ゲーム・映画などの配信サービス。利用するにあたって、
住所氏名電話番号、電子メールアドレス、クレジットカードなどの個人情報を記録しなければならない)が不正アクセスを受け、
登録されている全世界約7700万件以上の個人情報が流出するという大事件が発生。個人情報保護・セキュリティへの危機意識
の低さ、対応の甘さが露呈することになりました。
Wiiは直感的な遊びのWiiスポーツや体感ゲームと健康管理を融合したWii Fitで、これまでゲームに無縁だった客層を見事取
り込み爆発的ヒット。国内外共にトップシェアに返り咲きを果しました。そしてその勢いは止まらず、携帯ゲーム機のニンテンドウDSを
含め過去最高利益を出すなど絶好調。しかしサードメーカーのソフトが売れず、またPS2時代までの従来型のゲームのファンを
置いてきぼりにしているなど一部不安要素があります。
対策として任天堂自身もこれまでのシリーズ物の新作を出したり、2009年10月に本体価格を5000円下げ薄型PS3に対抗。Wiiスポーツや
WiiFitの新作など体感ゲームに加え、NewスーパーマリオがWii最大の売上を叩き出し絶好調。サードではカプコンの大人気ソフトモン
スターハンター3のミリオンヒットで従来型の客層にも対応しようとしていますが、モンスターハンター3以降サード製で目ぼしいソフトが
続かず沈黙。
2010年には流石のWii FitやWiiスポーツなどの人気にも陰りが見え始め、Wii Partyやマリオシリーズの新作マリオギャラクシー2が
ミリオンヒットとなりますが、Wii Fitのような爆発的ブームにはならず、サード到っては据え置きトップシェアとは思えぬほど本数
も売上も低迷。2011年もその傾向か続き、Wiiの人気に陰りが見られます。
そんなWiiに限界を感じたのか、2011年4月に任天堂がWiiの後継機を発表。発売は2012年予定、2011年6月のE3(アメリカ最大のゲームショー)に
出展することになりました。その名は「Wii U」。PS3やXBOX360並かそれ以上と噂されるスペック(2011年6月現在ではスペックの詳細は未定)と、
大きなタッチスクリーンの付いたコントローラが特長のハードです。今回はクラシックコントローラ同様のボタン数があり、タッチスクリーンの他、
加速度計、ジャイロセンサー、振動機能、カメラ、マイク、スピーカー、センサー部など実に多機能。
WiiやDS以上の新しい遊び方のゲームが登場が予想されます。
家庭用ゲーム機のトップシェアに再び返り咲いた任天堂Wiiの牙城を他ハードが崩せるのか、据え置き機の人気低迷を打破できるのか、
また注目の任天堂の次世代機、Wii Uはどうなるのか、今後もゲーム業界からは目が離せません。
参考文献 「ソニー セガ 任天堂ゲーム機最終戦争」 (エール出版社)
参考サイト 各メーカー公式サイト セガ和辞典出版局
Classic 8-bit/16-bit Topics