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墓 所 名 足利(大覚寺)義昭の墓
お墓の様子
所 在 地 宮崎県串間市北方
5768(永徳寺)

〜コ メ ン ト〜

足利(大覚寺)義昭の墓。室町幕府第十五代将軍と同じ

名前だが、こちらは第三代将軍・義満の子息で、兄である

第四代将軍・義持の死により、クジ引きによる後継の将軍

選びが行われた際には四人の候補者のうちの一人だった。

結果、異母兄の義教が第六代将軍となり、万人恐怖と

いわれる専制政治を行うようになると、永享9(1437)年

7月に大覚寺から逐電した。義昭の行方は杳として

知れず「幕府に叛乱を起こして抵抗を続けている

越智氏の陣営に投じて吉野天川で挙兵した」「鎌倉

公方・足利持氏と内通している」との風聞が立つなど、

幕府を震撼させる大事件となった。越智氏や鎌倉公方

との関係は明確ではないが、幕府が越智氏および

足利持氏の叛乱(永享の乱)を鎮圧すると義昭の

探索は執拗を極めた。義昭は各地を流浪の末、

最後は島津氏を頼り、日向国櫛間の永徳寺に

匿われた。しかしながら櫛間潜伏が露見すると、

度重なる義教からの命を受け、これに抗しきれ

なくなった島津忠国の追っ手により自害させられた。

尚、現在、串間市には義昭の墓とされるものが3つ

残されており、この永徳寺に残されているものは

その1つである。


※義昭が討たれた年月日が刻まれている墓

※義昭の墓とされるひで神様


※足利将軍家の系図についてはこちらをご参照下さい。

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