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『お墓巡りが趣味として
成り立つわけ(理由)』
通常、今、墓地に行って私たちが目にするのは

「○○家之墓」と大きく刻まれたそれぞれの

家ごとのお墓(墓石)である。そして墓石の

傍らには墓碑があり、そのお墓に納骨された

人の戒名と生前の俗名、お亡くなりになられた

年月日などが刻まれているのが一般的である。

そーである。現在、私たちが目にするお墓は

一人ひとりの個人単位のお墓ではなく、

その家の家族みんなが眠っているそれぞれの

家単位のお墓なのである。尚、このように

家族全員が同じ墓に入るようになったのは

明治時代以後に家観念の高まりにともなっての

ことであり、江戸時代以前は基本的に一人に

つき一基の墓石を建てるのが通例であった。

これはお墓巡りを趣味としているものにとっては

何気ない、ごく当たり前のことなのだが、実は

これこそが「歴史的人物のお墓を訪ね歩く

ことが趣味として成り立っている最大の

理由である」というか「必要不可欠な

絶対条件である」といえる。つまりこういう

ことである。例えば源頼朝や織田信長、

武田信玄、上杉謙信、毛利元就などの

歴史上の人物がその人個人のお墓ではなく

「源家之墓」「織田家之墓」「武田家之墓」

「上杉家之墓」「毛利家之墓」に眠って

いたとしたら、何とも曖昧で「誰それの

お墓にきた!」という実感を持つことが

できず、感情移入などは絶対にできない

であろうことは明白だからである。

そういった意味で、いつもはごく当たり前の

ように接している歴史上の人物のお墓では

あるのだが、それが各々、各個人、

一人ひとりのお墓であるがゆえに、

その人のお墓にきた!今度その人の

お墓を訪ねてみようという気にも

なるというわけなのである。