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社名 天手長男神社
(壱岐国一之宮)
鎮座地 長崎県壱岐市郷ノ浦町田中触730
主祭神 天忍穂耳尊
社殿
神社の様子
創建   不詳
旧社格 村社 HP 無し 通算
参拝回数
1回
現在の社殿の
建築年代
元禄元(1688)年
文化財
指定
無し

神社の歴史

天手長男神社は延喜式では名神大社に列し、
古くから壱岐国の宗廟・一之宮として崇敬を
集めてきたが、鎌倉時代の元寇により、社殿は
ことごとく破壊され、祭祀を伝承する文書や
神宝などは焼き払われてしまったという。
このため江戸前期には所在がわからなく
なっていて「天手長男神社は壱岐国宗廟たり
といへども跡形もなく(橘三喜の一宮巡礼記)」
という状態となっていた。当社を復興させた
のは前述の平戸藩の国学者・橘三喜である。
藩主の命により島内の調査を行った橘三喜
老婆の語り伝えと記録等からその場所を
特定し、のちに藩主により本殿・拝殿が
元禄元(1688)年に再建され、現在に至って
いる。しかしながら、現在では橘三喜による
この調査結果には疑問が持たれており、
芦辺町湯岳にある興神社こそが真の天手
長男神社だという説が有力となっている。
興は国府に通じ、国府の近辺にあること
などが根拠だという。尚、一時所在地が
わからなくなって廃絶していたためか、通常
諸国の一之宮と目された神社は明治以後、
官幣もしくは国幣の待遇を受けたにも
関わらず、この天手長男神社は、県社
どころかその下の郷社よりもさらに低い
村社の社格しか与えられなかった。また
現在の社殿もこれが本当に一之宮なの
だろうかと疑念を懐くほど簡素である。