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墓 所 名 聖徳太子廟所
(磯長墓・叡福寺北古墳)
お墓の様子
所 在 地 大阪府太子町太子2146

〜コ メ ン ト〜

聖徳太子の墓。聖徳太子は用明天皇の皇子で名は

厩戸(うまやど)皇子が実名と考えられる。太子は叔母に

あたる推古天皇の即位と同時に立太子し、摂政として

内政・外交に尽力したとされる。具体的には冠位十二階・

憲法十七条を制定して集権的官僚国家の基礎を築き、

また、遣隋使を派遣して大陸文化の導入にも努める

一方で国史の編纂も行ったとされる。特に仏教興隆には

尽力し、三経義疏を著わし、法隆寺・四天王寺を建立

するなど多くの業績を残したという。そうした生前の

多大なる業績に対する太子追慕の念から聖徳太子は

日本史上に残る不世出な大政治家にして聖人君主

であったとされるようになり、平安時代以降は仏教

保護者として聖徳太子自身が信仰の対象とされる

ようになった。(いわゆる太子信仰)しかしながら、

現在では聖徳太子の業績とされるものには様々な

疑義が出されており、中にはその業績はおろか

聖徳太子の存在さえ否定するものまである。また、

かつては聖徳太子の肖像として最も有名でお札にも

なっていたため、我々日本人にはすっかりお馴染み

だった「聖徳太子二王子像」も現在では残念ながら

聖徳太子のものではないと考えられるようになって

いるという。その真相はいかに?ちなみにこの

太子墓は径50m、高さ10mほどの円墳で、内部は

精巧な切石を用いた横穴式石室であるという。

太子と母君の穴穂部間人皇后、妃の膳郎女の

3人の棺が納められていると伝えられることから、

三骨一廟と呼ばれているそうである。

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