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墓 所 名 赤松義村の墓
お墓の様子
所 在 地 兵庫県姫路市夢前町
又坂371−2(浄安寺)

〜コ メ ン ト〜

赤松義村の墓。義村は赤松庶流の七条政資の子で、

赤松政則の娘である松を正室として政則の婿養子となり、

明応5(1496)年に惣領家を相続、播磨・備前・美作三国の

守護を継承、置塩城を居城とした。家督相続時は幼少で

あったため、先代政則の後室であった洞松院(細川勝元

娘)が後見を務めた。室町幕府内部で足利義材・義澄の

抗争が起きると義村は義澄を支持し、義澄の遺児(のちの

義晴)を置塩に迎えて保護・養育した。永正14(1517)年に

なると義村は本格的な執政を開始して守護権力の強化に

努めたが、これが重臣浦上村宗の反発を招いた。両者の

対立は武力衝突に発展し、義村は永正16(1519)年

11月に村宗が籠城する三石城を攻めたが落とすことが

できずに和議が結ばれた。翌年再び武力衝突が起こり、

大敗した義村は家督を嫡子の道祖松丸(のちの晴政)に

譲り、隠居した。道祖松丸は浦上氏の本拠・三石城に

祖母の洞松院、母の松とともに移送され、浦上村宗の

もとで養育されることになった。屈辱に耐え兼ねた義村は

永正18(1521)年に再び村宗打倒の兵を挙げたが、村宗の

謀略により捕らえられ、室津に幽閉された。同年9月17日、

義村は村宗の刺客に襲われ、ついに壮絶な最期を遂げた。

尚、義村の墓とされるものは加古川市にもある。

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