ご尊名 |
秀 快 上 人 | |||||||||||||
寺院名 | 真珠院 (真言宗豊山派) |
系統 | 高野山系 (非湯殿山系) |
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所在地 | 新潟県柏崎市西長島鳥甲 |
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ミイラor 即身仏 |
即身仏 | 没年又は 入定年 |
安永9年(1780年) 3月21日 (62歳) |
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入定伝説 | 地上石室 内入定 |
通算 訪問回数 |
1 回 | |||||||||||
お寺の様子 |
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ご尊顔 | ||||||||||||||
お寺の パンフレット 等より |
秀快上人は、享保2(1717)年北鯖石村の竹田 久左エ門の長男として生まれ、9歳にして、真珠院 第二十世秀清上人の弟子となり、僧名を「泰音坊 秀快」とし修行に励んだ。享保17(1732)年 真言宗豊山派の総本山長谷寺に入籍留学、勉学修行に 努め、後に大学僧に就任し、精励すること20余年、 宝暦5(1755)年帰郷し、真珠院の第二十二世 住職となり、内外の教化伝導につとめた。50歳に して、深く入定を決意し、五穀を断って、菜食で 修行すること10年、安永9(1780)年3月1日、 弟子と村人に「3月21日に入定して、肉体は此の 石室に留めて何時の世までも衆生を済度したいと 思う」と告げ、本堂裏山の入定堂の石室に入り、 真言を唱え、五鈷杵をかざし、鈴を打ちならし続け 同月21日に入定した。享年62歳。ちなみに 真言宗の開祖弘法大師と同じ命日(3月21日)で、 年齢も同じ62歳であり、真言宗の修法に基づいた 学問僧の即身成仏実証例と位置づけられ、貴重な 学術資料とされている。 |
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俺の感想 コメント |
秀快上人は比較的最近、即身仏として祀られる ようになられた方である。というのも学術調査が 行われたのが、平成2(1990)年のことだから である。お寺の奥様曰く調査をすることに ついては色々と心配もあったようである。 その一つに秀快上人は本当に石棺の中に いるのだろうかという心配(ひょっとしたら 逃げ出していてそこにはいないんじゃないか という話もあったらしい)があり、秀快上人が いらっしゃることが確認できた際には「とにかく まずは秀快上人が出てきてくれてよかった」と ひと安心されたそうである。尚、現在は秀快 上人の一般公開はしていない。奥様曰く ご開帳したのは調査をした時と、その後に 1回のみで、今後については「いつかは やらなきゃいけないんでしょうけどね…」と お気持ちがないわけではないが、今の ところ特に予定があるわけではないと おっしゃられていた。しかしながら、 本堂の裏山にある秀快上人が入定された 入定堂と石室は自由に見てもよいという ことだった。残念ながら秀快上人と対面する ことは叶わなかったが、その代わりに学術 調査をした際のお話や当時の貴重なお写真 などを拝見させていただくことができた。 |