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墓 所 名 宗義調の墓
お墓の様子
所 在 地 長崎県対馬市厳原町
中村621(太平寺)

〜コ メ ン ト〜

宗家第十六代当主義調の墓。義調は天文22(1553)年に

父・晴康の後を継ぎ対馬守護となると、国務に精励し、

倭寇禁圧に努めるなど、対朝鮮貿易を拡大した。津奈

調親が謀反を企てた際には巧みな計略をもってこれを

鎮圧した。義調には子がなく、永禄10(1567)年に宗家

第十四代当主将盛の子・茂尚に家督を譲るが早世、

以後、その弟である義純・義智ら代々の当主の後見役

として実権を握り続けた。豊臣秀吉の九州攻めの際には

再び島主として秀吉のもとに仕え、本領を安堵されたが、

秀吉に朝鮮の臣従をうながすよう交渉を命じられ、

折衝中の天正16(1588)年12月12日に57歳で没した。

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