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墓 所 名 間宮林蔵の墓
お墓の様子
所 在 地 茨城県つくばみらい市
上平柳5(専称寺)

〜コ メ ン ト〜

間宮林蔵の墓。林蔵は世界地図にただ1人その名を

残した日本人の探検家として知られ、名は倫宗という。

寛政11(1799)年に初めて蝦夷地に渡り、翌年には

蝦夷地御用雇となり、箱館で
伊能忠敬から測量術を

学んだ。以後、文政5(1822)年に松前奉行が廃止

されるまで、林蔵はほとんど蝦夷地内で活動し、

華々しい成果を挙げた。とりわけ当時ロシアの半島と

思われていた樺太(カラフト)が「島」であることを

確認・発見したことにより、その海峡は現在でも

彼の名前をとって「間宮海峡」と呼ばれている。

(間宮海峡はシーボルトの著作「日本」の中で

『まみやのせと』として世界に紹介された)このように

林蔵の樺太(カラフト)探検はあまりにも有名で

あるが、蝦夷全土を測量し、伊能忠敬の「大日本

沿海輿地全図」の北海道部分を完成させている

ことも大きな業績である。尚、江戸に戻ってからの

林蔵は全国を歩き回り異国船渡来の風聞内偵等の

仕事のため、隠密活動に従事した。晩年には徳川

斉昭に招かれ、水戸家にも出入りし、天保15

(1844)年2月26日に江戸の自宅で永眠した。

これとは別に林蔵の墓は東京の江東区にも

武士としての墓が存在している

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