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墓 所 名 坂上田村麻呂の墓
お 墓 の
様 子
所 在 地 京都府京都市山科区
勧修寺東栗栖野町

〜コ メ ン ト〜

坂上田村麻呂の墓。田村麻呂は平安時代の初めに桓武天皇の

下で蝦夷征討に活躍した武将・公卿で、延暦10(791)年に

征夷副使となり、大使・大伴弟麻呂の指揮下で10万の兵で

胆沢に侵攻し、蝦夷を征した。延暦16(797)年には征夷大将軍

となり、延暦19(800)年には征夷大将軍・陸奥出羽按察使・

陸奥守・鎮守将軍を兼帯、蝦夷征討にかかわる全指揮権を

与えられ、4万の兵で第三次蝦夷征討を行い、翌年には

征討を成功させ凱旋した。延暦21(802)年には造胆沢城使

として陸奥に再度下向し、胆沢城造営中に蝦夷の首長・

阿弖流為(アテルイ)・母礼(モレ)らが五百余人を率いて

田村麻呂に投降すると二人を連れて上京した。二人の処遇を

めぐって公卿会議が開かれると、田村麻呂は二人を生かし、

まだ胆沢方面に残っている蝦夷を帰順させるために活用

すべきと助命を主張したが、公卿たちの認めるところとならず

斬首された。その後、京都にあっても薬子の乱などに活躍した

田村麻呂は正三位大納言まで昇任し、弘仁2(811)年に

没してこの地に葬られた。この時、田村麻呂は武具姿で

立ったまま棺に納められたといい、死後も将軍として都を守護

するようにとの願いによるものという。尚、長年、朝廷が力を

尽くしても適わなかった蝦夷征伐を成し遂げた田村麻呂は

後世、模範的武将として「将軍中の将軍」として尊敬され、

征夷大将軍の職名は長く武門の栄誉とされた。また、田村

麻呂は仏教の信仰も深く、清水寺を創建したことでも有名で、

東北地方にも田村麻呂の創建と伝える寺社が数多くある。

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