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墓 所 名 藤原秀郷の墓
お墓の様子
所 在 地 群馬県伊勢崎市赤堀今井町
2−1344−1(宝珠寺)

〜コ メ ン ト〜

藤原秀郷の墓。秀郷は藤原北家の魚名の後裔で、別名

俵藤太(田原藤太)と呼ばれた。母が下野掾鹿島の娘

だったことから父に従って下野に下り、下野国押領使に

任ぜられた。天慶2(939)年に平将門が挙兵して関東

8ヶ国を征圧し、自らを新皇と称して東国を独立国に

しようと謀ると、秀郷は将門に対抗する平貞盛と連合し、

翌天慶3(940)年2月、将門の本拠地を襲い、将門を

討ち取り、乱を鎮圧した。その功により、従四位下を

与えられ、下野守、武蔵守、さらには鎮守府将軍に

任じられた。秀郷の嫡流は代々鎮守府将軍に

任じられ、子孫は小山氏・結城氏・佐野氏・藤姓

足利氏等の祖となった。また、奥州藤原氏・大友氏・

少弐氏・波多野氏等も秀郷の後裔を称するなど、

源氏・平氏に次ぐ武家の名門として各地に子孫を

残した。尚、この五輪塔は秀郷の死後に三男の田原

千国が供養のために建立したと伝えられているもので、

秀郷の墓とされるものは栃木県の佐野市にもある。

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