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墓 所 名 弘文天皇(大友皇子)陵
お墓の様子
所 在 地 滋賀県大津市御陵町3

〜コ メ ン ト〜

壬申の乱で、天智天皇の弟・大海人皇子に敗れた大友

皇子(弘文天皇)の陵墓。大友皇子(弘文天皇)は天智

天皇の皇子で、天智天皇が大津京で没すると、皇位

継承をめぐって実の叔父である大海人皇子と古代最大の

内乱となった壬申の乱で争うも、敗れて自決した。(勝利

した大海人皇子は飛鳥に遷都して天武天皇となった。)

尚、日本書紀には大友皇子の立太子や即位の記述

がなく、皇位についたか否かについては、古くから議論

されてきた(学界では非即位説が有力)が、明治3

(1870)年に時の明治政府が大日本史等の主張を

いれて正式に天皇と認め、弘文天皇と追諡された。

また陵墓についても、それからすぐに長等山麓にあった

亀丘と呼ばれていた古墳が陵墓に選定され、死地で

ある「山前」の名をとって長等山前陵と命名され、

現在にいたっている。しかしながら、この古墳はまったく

年代があわず、弘文天皇陵が大友皇子の墓である

とはいえないのが実情のようである。

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