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墓 所 名 藤原秀郷の墓
お墓の様子
所 在 地 栃木県佐野市新吉水254

〜コ メ ン ト〜

藤原秀郷の墓。秀郷は藤原北家の魚名の後裔で、別名

俵藤太(田原藤太)と呼ばれた。母が下野掾鹿島の娘

だったことから父に従って下野に下り、下野国押領使に

任ぜられた。天慶2(939)年に平将門が挙兵して関東

8ヶ国を征圧し、自らを新皇と称して東国を独立国に

しようと謀ると、秀郷は将門に対抗する平貞盛と連合し、

翌天慶3(940)年2月、将門の本拠地を襲い、将門を

討ち取り、乱を鎮圧した。その功により、従四位下を

与えられ、下野守、武蔵守、さらには鎮守府将軍に

任じられた。その後、正暦2(991)年に没し、東明寺に

葬られたと伝えられている。秀郷の嫡流は代々鎮守府

将軍に任じられ、子孫は小山氏・結城氏・佐野氏・藤姓

足利氏等の祖となった。また、奥州藤原氏・大友氏・

少弐氏・波多野氏等も秀郷の後裔を称するなど、

源氏・平氏に次ぐ武家の名門として各地に子孫を

残した。尚、秀郷は近江三上山の百足退治の

伝説でも有名である。(秀郷の墓とされるものは

群馬県の伊勢原市にもある。


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