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墓 所 名 本多忠勝の墓
お墓の様子
所 在 地 千葉県大多喜町
新丁180(良玄寺)

〜コ メ ン ト〜

本多忠勝の墓。忠勝は徳川四天王の一人で、幼い頃から

徳川家康に仕えた。初陣を飾って以来、戦場に臨むこと

57回、体には1ヶ所の傷跡もなかったと伝えられている。

武田信玄との合戦では、その奮闘ぶりから「家康に過ぎ

たるもの」と称され、小牧・長久手の戦いでは秀吉から

「東に本多平八郎あり、西に立花宗茂あり」と絶賛された

という。本能寺の変に際しては去就に迷う家康に岡崎

帰城を進言し、無事帰還を果たした。天正18(1590)年

家康が関東に入国すると上総国・大多喜城主に任命され、

慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いでは家康本軍に従軍、

福島正則などの豊臣家に近い諸大名に書状を送って

監視をした。翌慶長6(1601)年になると東海道の要地

である伊勢桑名10万石に封じられた。慶長14(1609)年

6月に嫡男・忠政に家督を譲って隠居、翌年没し、桑名

浄土寺に葬られた。尚、良玄寺にあるこの墓は分骨

され建立されたものである。

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