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墓 所 名 阿野全成の墓
お墓の様子

左が全成・
右が時元の墓
所 在 地 静岡県沼津市井出744
(大泉寺)

〜コ メ ン ト〜

阿野全成の墓。全成は幼名を今若丸といい、清和

源氏の嫡流・源義朝の七男で、頼朝範頼の異母弟、

義経の同母兄に当たる。母は絶世の美女として有名な

常盤御前である。平治の乱で義朝が敗死すると、

母・常盤が今若・乙若・牛若(義経)の赦免を条件に

平清盛の妾となったため、助命された。その後、今若は

醍醐寺で出家して全成と改名したが、その荒法師ぶり

から醍醐の悪禅師と呼ばれたという。治承4(1180)年

頼朝の挙兵を聞くとひそかに寺を抜け出し、直ちに

関東に下向、頼朝のもとに参じた。頼朝はその志しに

涙して感動したという。この助勢の功により、武蔵国

長尾寺を与えられ、さらに駿河国阿野庄を領した。

さらに北条時政の娘・阿波局を娶り、これが千幡

(のちの実朝)の乳母になったことから、鎌倉幕府内

での権力は磐石なものと思われたが、頼朝没後は

千幡の擁立をはかる北条氏と二代将軍・頼家との

対立に巻き込まれ、建仁3(1203)年5月、頼家に

対する謀反の疑いにより常陸国に配流され、翌月の

6月23日に下野国で誅殺された。首級は阿野庄

の全成の館に届けられたと伝えられている。

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