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墓 所 名 足利義維の墓
お墓の様子

左から足利義栄・

・義維の墓
所 在 地 徳島県阿南市那賀川町
赤池185(西光寺)

〜コ メ ン ト〜

足利義維の墓。義維の父は室町幕府第十一代将軍

足利義澄で、第十二代将軍義晴の弟(同母兄との説も

ある)に当たる。大永元(1521)年阿波に出奔した

第十代将軍義稙の猶子となり、大永7(1527)年の

桂川川勝寺の合戦で足利義晴、細川高国が敗れ、

近江に逃亡すると、三好元長に擁立されて堺に上陸、

次期将軍として朝廷への進物をすませ、従五位下・

左馬頭に任じられた。この官位は歴代の将軍就任

予定者が与えられた官位であり、将軍と管領が京都に

いないという状況の中で、堺公方は事実上の将軍と

受け止められた。これ以降、義維は堺公方・堺大樹と

呼ばれ5年間畿内を支配したが、享禄5(1532)年に

細川晴元との対立が原因で三好元長が敗死すると、

堺公方府は消滅、義維は阿波平島に戻った。以後も

将軍就任の機会をうかがったが果たせず、天正元

(1573)年10月に死去した。(後名は義冬)

尚、義維の一族は阿波平島を拠点としたため、

平島御所、平島公方、阿波公方と呼ばれ、義維の

系統は足利将軍家の血筋を現在まで伝えている。


※足利将軍家の系図についてはこちらをご参照下さい。

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