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墓 所 名 渋川公墓所
お墓の様子
所 在 地 埼玉県蕨市中央
2−10−14(宝樹院)

〜コ メ ン ト〜

蕨城主渋川氏の菩提寺である宝樹院にある渋川公の墓所。

渋川氏は九州探題にも任じられた足利氏の支族で、長禄元

(1457)年に室町幕府第八代将軍・足利義政から古河公方・

足利成氏制圧のために義鏡が関東探題に任命され、関東に

下向した。その後、蕨城を拠点に古河公方に対抗したが、

義鏡・義尭の父子二代は将軍から与えられた使命を果たす

どころではなく、蕨城一つを持ちこたえるだけで精一杯

だったようである。やがてその末は後北条氏の傘下に属する

ようになり、永禄10(1567)年、房総里見氏と後北条氏との

間で戦われた国府台合戦で後北条氏の傘下にあった

渋川公(宝樹院殿)某(一説には義基ともいう)が上総国

三舟山で戦死して関東渋川氏は断絶した。その死を

悲しんだ夫人(竜体院殿)は榛名湖に入水したと伝え

られている。現在宝樹院に残されている宝樹院殿・

竜体院殿の石碑は、江戸時代後期の文化13(1816)年に、

渋川公夫妻の250年忌に渋川氏の家来の子孫によって

造立されたものである。


※渋川氏の系図についてはこちらをご参照下さい。

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