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墓 所 名 那珂通辰の墓
お墓の様子
所 在 地 茨城県常陸太田市増井町

〜コ メ ン ト〜

那珂通辰の墓。通辰は南北朝時代の常陸における

南朝方の武将で那珂西城の城主といわれている。

建武2(1335)年、後醍醐天皇に叛いた足利尊氏追討の

勅命を受けた義良親王(のちの後村上天皇)と陸奥守

鎮守府将軍・北畠顕家が西上する途中、北朝方の

佐竹貞義はこれを甕の原で迎撃、緒戦は北朝方が

優勢であったが、この時に那珂通辰は援軍を率いて

背後から佐竹勢を攻撃し、佐竹勢を敗走させるいう

殊勲を立てた。通辰はそのまま北畠顕家に従って

上洛し、後醍醐天皇より菊桐紋章を賜ったという。

その後、南朝方は楠木正家を瓜連城に迎え、通辰や

小田城主・小田氏治と共に北朝方の佐竹貞義と

対峙した。当初は南朝方が優勢であったが、南朝方の

一大拠点だった瓜連城が勢力を回復した佐竹貞義に

よって攻め落とさせられると、通辰の軍は孤立し、

勝楽寺裏で一族34人と共に自害したとも捕われて

斬られたとも伝えられている。

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