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墓 所 名 北畠(浪岡)氏累代の墓
お墓の様子
所 在 地 青森県青森市浪岡
大字北中野字五倫75−2

〜コ メ ン ト〜

北畠(浪岡)氏累代の墓。浪岡の地に建武の親政で活躍し

南朝に尽くした北畠親房の子孫と伝わる北畠(浪岡)氏が

領主(浪岡御所)として実在したことは紛れもない歴史的

事実であるが、その具体的系譜となると、親房の嫡子・

顕家の子孫としたり、顕家の弟・顕信の子孫としたりと、

実に多用であり、津軽為信に滅ぼされた最後の浪岡

御所に至る系譜は系図ごとにそれぞれ異なっており、

浪岡に入部した者についても、顕家の子・顕成、

顕家の子・顕忠、同顕季、顕成の子・顕元、顕元の子・

顕邦、または顕信の子・守親、守親の子・親能とそれぞれ

別の名が挙げられている。また天正6 (1578)年に津軽

為信に滅ぼされた最後の浪岡御所の当主の名も顕村、

顕継、具愛、具家、具定と様々に伝えられており、まさに

幻の謎の名族といった様相を呈している。尚、明治の

初期頃の調査資料によるとこの墓所には数基の五輪塔が

残されていたようであるが、戦時中にその多くが遺失して

しまい、その資料的価値が大きく低下してしまったと

言わざるを得ない状況となってしまっているのは

非常に残念なことである。

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