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墓 所 名 赤松義則の墓
お墓の様子
所 在 地 兵庫県姫路市夢前町
新庄1468−4(臨済寺)

〜コ メ ン ト〜

赤松義則の墓。義則は赤松則祐の嫡男で母は
佐々木

(京極)道誉
の娘。応安4・建徳2(1371)年、父の死により

赤松氏惣領職および播磨・備前守護職を継承した。

明徳2・元中8(1391)年の山名氏清・山名満幸・山名

義理等、山名一族の勢力削減を意図した将軍・足利

義満の挑発に端を発した明徳の乱に際しては山名氏

追討軍の武将として弟・満則以下一族を率いて参陣し、

赫々たる武功をたてた。乱後の明徳3・元中9(1392)年

には、それまで山名義理の領していた美作守護職を

与えられ、ここに播磨・備前・美作三国の守護となった。

義則は明徳2・元中8(1391)年以後、数度にわたって

室町幕府の要職である侍所所司に任ぜられているが、

これは赤松氏が山名一色・京極の三氏と交代で

この職に就き、三管領(斯波細川畠山)に次ぐ、

四職家と称されて幕閣内の枢要な地位を占めるに

至る端緒をなしたものである。祖父・円心(則村)、

父・則祐の二代で築かれた山陽道の有力守護

赤松氏の領国支配は、義則の代に最も発展し、

且つ最も安定していたといえる。

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