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墓 所 名 新田義宗の墓
お墓の様子


(真中が義宗の墓)
所 在 地 群馬県沼田市白沢町
高平1482(雲谷寺)

〜コ メ ン ト〜

新田義宗の墓。義宗は新田義貞の三男で、父・義貞、

長兄・義顕の死後、新田家の家督となったとみられている。

正平7(1352)年、観応の擾乱に乗じて南朝方が総決起し、

京都・鎌倉の同時奪還が敢行されたが、この時に宗良

親王を奉じて鎌倉攻めを指揮したのは新田義宗だった。

しかし新田軍による鎌倉占領はわずか16日にすぎず、

足利尊氏に敗れて越後に逃れた。その後、杳として

行方が知れなかった義宗が再び姿をあらわしたのは

正平23(1368)年7月のことであった。この時、従兄弟の

新田(脇屋)義治とともに、上越国境にて反幕の兵を

挙げたのである。これに対し、関東管領上杉憲顕は、

千葉・宇都宮・結城・小山などの諸将を召集し、嫡男・

憲将、次男・能憲、三男憲春を討手の大将として

派遣した。この戦いで義宗は討ち死にし、義治は

出羽に逃れたという。


※新田氏の系図についてはこちらをご参照下さい。

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