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墓 所 名 細川和氏の墓
お墓の様子
所 在 地 徳島県阿波市土成町秋月蛭子

〜コ メ ン ト〜

南北朝・室町時代に大活躍をした細川氏の興隆の

礎を築いた和氏の墓。足利高氏(のちの尊氏)に

鎌倉倒幕の挙兵を進言し、六波羅探題攻撃の戦略を

献策したのは和氏といわれている。また、和氏の生涯

最高の勲功の一つは鎌倉幕府滅亡直後に高氏の

嫡男千寿王(のちの義詮)が鎌倉攻めの一翼を担って

いたことを楯にとり、軍勢を糾合し、鎌倉を陥落させた

新田義貞に弟2人とともに強談判し、「足利(高氏)殿に

対して、異心を存せず」との起請文を書かせた上で、

鎌倉から追放したことである。当時千寿王は4歳の

幼児であり、千寿王を奉じて戦った家臣も200騎に

すぎなかったが、これにより鎌倉幕府倒幕の戦功を

足利高氏が手中にし、武家の第一人者としての

ゆるぎない地位を得ることになったのである。尚、

建武の新政で阿波守となった和氏は、室町幕府の

開設後は引付頭人、侍所頭人の要職に任じられ、

建武3=延元元(1336)年には従兄弟の細川顕氏と

ともに四国の恩賞授与権をあたえられ、秋月城を

拠点に四国に覇権を打ち立て、康永元(1342)年

に亡くなった。


※細川氏の系図についてはこちらをご参照下さい。

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