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墓 所 名 畠山義深の墓
お墓の様子
所 在 地 大阪府河内長野市上田町
(上田墓地)

〜コ メ ン ト〜

畠山義深の墓。義深は建武の争乱の際に足利尊氏・義詮に

従って各地を転戦した。兄の国清が鎌倉公方足利基氏の

執事になるとこれに従ったが、国清が基氏の勘気を蒙って

失脚すると行動を共にしていた義深も没落した。その後、

義深は数年にして室町幕府への復帰が許され、摂津

西成郡の分郡守護となった。貞治5(1366)年には貞治の

政変で斯波高経が失脚すると、その追討にあたり、この功

により越前守護に補任され、国清亡きあと滅亡の危機に

瀕した畠山家の嫡流として復活し、のちに室町幕府の

三管領となる河内畠山氏の祖となり繁栄の礎となった。


※畠山氏の系図についてはこちらをご参照下さい。

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