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墓 所 名 教尊の墓 別館のブログへ
お墓の様子
所 在 地 島根県知夫村郡(松養寺)

〜コ メ ン ト〜

南朝・後亀山天皇の曾孫、小倉宮教尊の墓。教尊は

南北朝合一後に後醍醐流の正嫡と目された小倉宮

聖承の子息で、北畠満雅が南朝勢力として反幕の兵を

挙げた際には、小倉宮聖承により称光天皇のあとに

教尊を皇位につけようする企てがあったという。

しかしながら北畠満雅が敗死すると聖承は皇位回復を

断念したのか、教尊を将軍・足利義教の猶子として

得度させ、真言宗勧修寺門跡に入室させたが、

その2年後の嘉吉3(1443)年9月に起こったいわゆる

禁闕の変との関係を疑われて翌月に捕らえられ、

後醍醐天皇と同じく隠岐島へと流罪となり、この地で

没したという。ここに南朝再興の夢は事実上、完全に

絶たれたといってよいだろう。私が全国各地の南北朝

時代の史跡を15年くらい掛けて訪ね歩いた集大成

として一番最後に訪ねたのが、この隠岐の知夫里島

にある教尊の墓だった。本当に何もない閑散とした

寂しいところで、こうして南朝は終焉したのかと

感慨深く・感極まるものがあった。


※後醍醐天皇から教尊までの系図

後醍醐天皇−後村上天皇−後亀山天皇−
小倉宮恒敦−小倉宮聖承−教尊

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