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墓 所 名 北条泰時の墓
お墓の様子
所 在 地 神奈川県鎌倉市
大船5−8−29(常楽寺)

〜コ メ ン ト〜

鎌倉幕府第三代執権北条泰時の墓。泰時は義時の

長男で、建久5(1194)年に源頼朝を烏帽子親として

元服した。建保元(1213)年の和田合戦では一軍の

将として大いに奮戦し、建保6(1218)年には侍所長官に

任じられた。承久の乱では幕府軍の大将として叔父の

北条時房とともに京都に攻め上り、乱後設置された

六波羅探題では初代長官として時房とともに京都で

事後処理に当たった。父・義時の死後には、京都から

鎌倉に下向して鎌倉幕府の第三代執権に就任した。

この時、父の遺領配分では、自分の取り分を少なくして、

弟妹たちに多くを与えた。これを不審に思った叔母の

政子が「嫡子分すこぶる不足。なにようの事ぞ」と理由を

尋ねると「執権を奉るの身、領所などのことにおいては、

いかでか競望あらんや。ただ舎弟らをかえりみるべきの

由と存ずるのみ」と返事をして政子を感激させた。執権

就任後は叔父時房を連署にし、嘉禄元(1225)年には

有力御家人11名による評定衆を設置し合議制を制度化

した。さらに、貞永元(1232)年には初の武家法となる

御成敗式目を定めるなどして執権政治の確立をはかった。

尚、政治家としての泰時の政治には他にも見るべきものが

数多くあり、合議と道理に基づく政治方針は武家方だけで

なく、敵方の公家からも絶賛され、古くから善政、任政と

称えられた。これは、後世の模範となる立派な武家政治の

理想像として、永く後世にまで語り継がれた。

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