トップページへ戻る
墓 所 名 佐野源左衛門常世の墓
お墓の様子
所 在 地 栃木県佐野市
鉢木町15−5(願成寺)

〜コ メ ン ト〜

あのあまりにも有名な謡曲「鉢の木」に出てくる

佐野源左衛門常世の墓。ここではちょっと長くなるが

謡曲「鉢の木」のあらすじを紹介することとする。


謡曲「鉢の木」:

ある大雪の日、諸国遍歴の旅の僧が上野国の佐野の

渡しで行き暮れて、路端の貧しげな民家に一夜の宿を

求めました。しかし、家の主人は貧しさのため、家は

みすぼらしく、旅人をもてなそうにも何もしてやることは

できないため、それではあまりにも申し訳ないと一度は

その僧の願いを断りましたが、雪の中で難儀しているのを

見捨てることもできず、結局、泊めることにしました。

主人は客となった旅の僧に粟飯を炊き、心ばかりの

もてなしをしますが、夜が更けるとついには暖をとる

薪さえなくなってしまい長旅で疲れ果てた旅の僧に

満足に暖をとってもらうこともできなくなってしまいました。

そこで主人はやむなく大事に育てていた秘蔵の盆栽

「梅」「松」「桜」の鉢の木を切って囲炉裏にくべ、火を

焚いて旅の僧をもてなしました。僧は篤い志に感動し、

主人を由緒ある人と察し、強いてその素性を訊ねた

ところ、「この上は何を隠しましょう。これこそ、佐野

源左衛門常世のなれの果てでござる」と素性を

明かしました。僧が「何故にそのようになられた」と

重ねて訊ねたところ、常世は


「一族の者に所領をことごとく

押領されて、かくの如き身となりました。


しかしながら、落ちぶれたりといえども

この源左衛門、鎌倉殿の御家人として、

もし幕府に一大事がおこれば、千切れ

たりとも具足を着け、錆びたりとも薙刀を

持ち、痩せたりともあの馬に乗り、一番に

鎌倉に馳せ参じ、一命を投げ打つ

所存でござる」


とその覚悟のほどを述べました。話しを聞いていた僧は、

返す言葉もなく、ただただ何度も何度もうなずくだけでした。

その後、じっと話を聞いていた旅の僧は、「ご覧のような

者でたいしたことはできないが、もしも訴訟などで鎌倉に

来られたら、何かのお力になろう。幕府に裁判所のある

ことをお忘れあるな」となぐさめ、翌朝には旅立ちました。

やがて春になり、幕府から、鎌倉に一大事がおこったとて、

緊急の動員令が下されました。まさに
「いざ鎌倉」

関東八か国の御家人たちが先を争ってかけつけ、その中

には当然、かの佐野源左衛門常世の姿もありました。

すると大勢の武者の中から幕府首脳部の前に召し

出された常世は、千切れた具足に錆びた薙刀の

みすぼらしい姿をあざけり笑う武者達の前を悪びれる

ことなく進みます。そこで待っていたのは、あの時の旅の

僧でした。「わしはいつぞやの大雪の日、一夜の宿を

そちの家でやっかいになった旅の僧である」実は雪の日の

旅の僧こそ、前執権(しっけん)で鎌倉幕府の最高実力者

北条時頼その人であることを知って常世はおおいに

驚きました。時頼は常世の言葉に偽りがなかったことを

賞し、先日の約束を果たしたことを誉め、その志に

むくいるため、時頼はただちに奪われた佐野庄三十余郷を

常世に返し与えただけでなく、薪にされた三鉢の盆栽の

梅・桜・松にちなんで加賀国梅田庄、越中国桜井庄、

上野国松井田庄の三つの庄園を新たに恩賞として

与えました。まことに過分の待遇であったといってよく、

常世は大喜びで故郷に錦を飾ることになりました。


※尚、謡曲「鉢の木」は南北朝時代に成立した物語で

北条時頼がその正体を隠して法衣をまとい、諸国を

行脚したとの廻国伝説には実証的な裏付けがない。

また、佐野源左衛門常世についても実在を裏付ける

確たる史料は見当たらない。これらの伝説はあくまでも

伝説であるといえるだろう。

日本全国歴史的人物の墓を巡る旅のトップページへ戻る