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墓 所 名 武田信満の墓
お墓の様子
所 在 地 山梨県甲州市
大和町木賊122(栖雲寺)

〜コ メ ン ト〜

武田家第十三代当主信満の墓。信満は娘が上杉氏憲

(禅秀)の妻であったことから、禅秀が鎌倉公方・足利

持氏と対立し、応永23(1416)年に反乱を起こすと、

この反乱に加担した。一時は禅秀方が公方・持氏と

管領・上杉憲基を追放し、鎌倉を制圧したものの、

結局は幕府の援軍により、勢力を挽回した持氏方の

勝利となり、翌年正月に禅秀は鎌倉で自害した。

信満は禅秀の敗死により甲州に逃げ帰ったが、持氏は

直ちに禅秀に加担したものの討伐を開始し、2月になると

甲斐へ出陣した。上杉憲宗を大将に武蔵・相模の国人

一揆を中心とした持氏軍に攻め込まれた信満は万策尽きて

「梓弓ひきそめし身のそのままに五十あまりの夢やさまさん」

との辞世を残し、木賊山(天目山)で自害し、この後、

甲州は未曾有の大混乱に陥ることになった。尚、信満の

宝篋印塔は、高さ1m3cmであり、上部の伏針は形もよく、

塔身の四面には梵字がはっきりと刻んである。また、周囲

には家臣の塔があり、宝篋印塔が22茎、五輪の塔が6基、

その他破損したものが数基存在している。


※甲斐武田氏の系図についてはこちらをご参照下さい。

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