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墓 所 名 最上義春の墓
お墓の様子
所 在 地 山形県山形市
北山形2−3−7(龍門寺)

〜コ メ ン ト〜

最上義春の墓。義春は羽州探題最上氏の第六代当主と

されるが、この時期の最上氏の歴代については異同が多い。

諸本とも初代兼頼、二代直家、三代満直、四代満家までは

共通しているが、満家の長子・頼宗、次子・義春の代で

混乱が生じている。頼宗を歴代から外し、義春を五代と

するものもある。また宝徳元(1449)年には将軍足利義政より

羽州探題山形(斯波)竹松殿宛に御教書が下されているが、

この時竹松殿は幼年だったらしく、以後史料に現れることは

ない。(この竹松殿を五代頼宗の子息とする説もある。)

なお、義春のあとも弟の義秋が嗣いでおり、さらに義秋の

あとは庶流の中野氏から満氏が跡を嗣ぎ、兼頼以来の

斯波最上家の嫡流はここに途絶えた。この頃、室町幕府

の記録に羽州探題最上氏のことが書き記されることは

ほとんどなく、この最上氏嫡流の複雑な流れは何か深刻な

内部闘争があったのではないかと暗示しており、それが

室町中期に最上氏が活躍できなかった要因ではないかと

思われる。(なお、義春の墓と並んでいるのは最上氏

第十一代当主最上義守の墓である。)


※最上氏の系図についてはこちらをご参照下さい。

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