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墓 所 名 新田氏累代の墓
お墓の様子
所 在 地 群馬県太田市
別所山越604(円福寺)

〜コ メ ン ト〜

新田氏は源義家の三男・義国を祖としており、その長男・

義重が上野の新田庄に住み新田氏を名乗ったものである。

(また、義重の弟の義康は下野の足利庄に住み足利氏

名乗っている。)新田氏は源氏嫡流が三代で滅んだ後に、

本来なら源氏嫡流を継ぐことができるほどの家柄で

あったが、代々北条氏と縁を結んで勢力を伸ばした

足利氏に比べ、源平の合戦時に新田義重が頼朝

敵対した新田氏は鎌倉時代を通じて無位無官の土豪で

しかなく、その差は歴然としたものとなっていた。この

新田氏累代の墓がある円福寺は新田本宗家第四代

当主である新田政義が開基したと伝えられ、墓域には

五輪塔・石層塔など20基余りが並んでおり、このうち

一つには元亨4(1324)年の刻銘があり、新田基氏の

法名とされる沙弥道義の銘文がある。尚、鎌倉幕府を

倒した新田義貞は新田氏の第八代当主である。


ちなみに義貞までの新田氏の系譜

義重−義兼−義房−政義−政氏−基氏−朝氏−義貞

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