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墓 所 名 良成親王の墓(後征西将軍宮)
お墓の様子
   
所 在 地 福岡県八女市
矢部村北矢部御側

〜コ メ ン ト〜

後征西将軍宮・良成親王の墓。良成親王は後村上天皇の

第六皇子とされる人物で、正平22(1367)年頃に叔父の

征西将軍宮・懐良親王の留守居役として太宰府に

下向した。その後、武家(北朝)方の九州探題に任じられた

今川了俊により、太宰府が陥落させられると征西府は

高良山、菊池へと退くこととなった。そして文中3(1374)年

には征西将軍の職が懐良親王から良成親王に譲位され、

一時は勢力を盛り返したものの、菊池(隈府)城が落城

すると、良成親王は居城を染土城から深山の「たけの御所」、

続いて八代の奥にある「高田の御所」に移すことを余儀

なくされ、元中8(1391)年には五條頼治を頼り、天険の

要害である矢部の大杣の地に在所を定めた。良成親王は

元中9(1392)年の南北朝合一後も、あくまで南朝再興を

目指したが、親王の動向を知りうる最後の史料は元中12

(1395)年10月20日に矢部大杣から五条頼治にあてた

感状であり、これにより、当時親王が矢部にいたことが

知られるが、その後、親王の消息を記したものは見当たら

ないため、まもなくこの地で没したものと考えられている。

九州における南北朝時代は、中央よりやや遅れて、ここに

実質的な終わりを告げることになったのである。

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