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墓 所 名 源頼政の墓
お墓の様子
所 在 地 京都府宇治市宇治
蓮華116(平等院)

〜コ メ ン ト〜

源頼政は保元の乱、平治の乱に際し、いずれも平清盛に

味方したので、源氏嫡流の悲劇(保元の乱で源為義は

崇徳上皇に与して敗れ、一族のほとんどが死罪か流罪

となった。また保元の乱で唯一、後白河院に味方した

嫡男の源義朝も、続く平治の乱で平清盛に敗れて廟堂

から姿を消した)とは無縁であり、むしろ昇位の推薦も

受けた関係にあった。頼政の昇進は歌人として認められた

ゆえで、家集に「源三位頼政集」があるが、晩年は官位

への不満をもらす歌が多く残されている。その後、平家に

あらずんば人にあらずというような平氏の専横に不満が

高まる中、冷遇されていた以仁王と結んで平氏打倒の

挙兵を計画し、諸国の源氏に平氏打倒の令旨を伝えた。

しかし計画が露見して準備不足のまま挙兵を余儀

なくされ、平氏の追討を受けて宇治平等院の戦いで敗れ、

埋もれ木の 花咲くことも なかりしに 身のなる果てぞ 

悲しかりける
」という辞世の句を残し、自害をして果てた。

このように頼政と以仁王の挙兵は失敗したが、以仁王の

令旨の効果は大きく、これを奉じて源頼朝、源(木曽)

義仲をはじめとする諸国の源氏が一斉に蜂起し、平家の

滅亡につながったことは歴史の知る事実である。

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