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墓 所 名 今川範国の墓
お墓の様子
所 在 地 静岡県磐田市城之崎
4−2722−1 (福王寺)

〜コ メ ン ト〜

駿河今川氏の初代となった今川範国の墓。範国は今川

基氏の五男であるが、時は鎌倉幕府が倒れて建武の

親政が始まるという激動の時代を迎えていた。これに対し、

北条高時の遺児時行が中先代の乱を起こすと基氏の

五人の子のうち、僧になっていた四男法圻を除く四人が

足利尊氏の征討軍に従軍した。長男頼国は遠江小夜

中山の合戦で時行側の大将名越邦時を討ち取るという

殊勲をたてたが、続く相模川の戦いで長男の頼国と

三男の頼周は討ち死にをした。また、次男範満も武蔵

小手指原の戦いで討ち死にをしており、結局、従軍した

四兄弟のうち、生き残ったのは尊氏に直属していた

五男範国のみであり、この中先代の乱における三兄弟の

討ち死にという抜群の勲功により、やがて末弟範国が

駿河・遠江両国の守護に任じられることとなった。尚、

範国自身も京都合戦、駿河手越河原、美濃青野原、

河内四条畷等の戦いで戦功をあげ、室町幕府の引付

頭人の要職に任じられた。また当時、南朝の勢力が

強大だった駿河・遠江の守護に任じられたことや範国の

次男貞世(了俊)が九州探題に任じられたことなどは

足利将軍家(尊氏・義詮・義満)からの今川氏に対する

抜群の期待と信頼を示しており、事実、範国・範氏

父子は駿河・遠江の南朝勢力の掃討に目覚ましい

成果をあげるなど、足利一門として、室町幕府に

おける重要な位置を占めるようになり、今川氏の

礎を築いた。


※駿河今川氏の系図についてはこちらをご参照下さい。

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