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墓所名 義本王の墓
お墓の
様子

 動 画
所在地 沖縄県国頭村辺戸

〜コ メ ン ト〜

沖縄に実在した最初の王統は1187年に起こった舜天王統であると

されている。この王統は三代で終わるが、その最後の王となった

のが義本王である。義本王は1249年に王位につくが、翌年より

飢饉や疫病が多発して国民の半ばが死んだため、これを自分の

不徳のせいとした義本王は群臣を招集して「今の流行病はこれこそ

余の不徳のいたすところなので、国家を有徳のものに譲りたいが、

群臣の中で誰を国王にすればよかろうか」と申したところ、人々は

こぞって恵祖世主の嫡子の英祖を挙げたため、英祖を召して

国政を代行させた。英祖が摂政として国政を執ること7年、国内は

大いに治まったといい、義本王は在位11年で英祖に譲位して姿を

消し、以後消息は分からなくなったと伝えられている。尚、義本王に

ついては国が乱れたことに怒った群衆が王を火あぶりの刑にしようと

したために逃げたとする説などもあり、実際にはどのように英祖

権限の委譲がなされたのかについてはわかっていない。義本王の

消息についても「中城でかくまわれてそこで没した」という説、「故郷で

あるヤマトに帰るために北に移動して辺戸で没した」という説、

「辺戸に逃れ、辺戸ノロと恋仲になって一子をもうけ、その子孫が

第二尚氏の祖である尚円王となった」等様々な説がある。また、

国頭村史によると義本王の墓は辺戸の他に伊地・佐手・北中城

仲順にあるとされ、この墓は明治のはじめころ尚家によって改修

されたもので、その時に尚家から送られてきた大きな陶器の棺を

納めたという言い伝えがあるという。

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