トップページへ戻る
墓 所 名 足利政氏の墓
お墓の様子
所 在 地 埼玉県久喜市本町7−2−18

〜コ メ ン ト〜

第二代古河公方足利政氏の墓。政氏の政は室町幕府

第八代将軍足利義政からの一字拝領。公方在座およそ

34年。政氏は古河公方中随一の文化・教養人だが、時に

関東は北条早雲の登場により、風雲急を告げていた。

新興の戦国大名北条早雲の関東進出に伴い、長年

争っていた山内・扇谷の両上杉家は永正2(1505)年に

和睦して、北条氏に当たることを決めたが、古河公方家は

逆に分裂の危機を迎えた。公方政氏が両上杉家との

連携を計ったのに対し、その嫡子高基は北条氏と結んで

両上杉家と当たることを主張し、永正7(1510)年下総

関宿の簗田高助のもとへ走った。こうした古河公方家の

内紛・分裂は関東各地の武将を巻き込み深刻な権力

闘争へと発展、その後、公方政氏は「高基不幸の処、

関東の諸士同心に不儀を企て候条、是非に及ばざる

次第」と嘆き、小山成長を頼って祇園城に移ったのに

対し、永正9(1512)年には高基が実力で古河城に

復帰し、古河公方の地位を継承したが、政氏との対立は

永正13(1516)年頃まで続いた。しかし政氏の頼みの綱の

小山氏も成長の子、政長が実権を握り、高基支持へと

方針を転換したので、政氏は小山城を出て武蔵の

岩槻城に移り、ついに永正17(1520)年に高基と和して

入道し、武蔵国久喜に隠居した。


※古河公方足利家の系図についてはこちらをご参照下さい。

日本全国歴史的人物の墓を巡る旅のトップページへ戻る