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 国の為 重きつとめを 果し得で 
 
 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき



  作者 : 栗林忠道
  

  解説 :
   栗林忠道は大東亜戦争末期、本土防衛の最前線
   そして最激戦地となった硫黄島の総指揮官として2万
   余りの兵を率い、武器もなく補給も途絶えた中で米軍の
   猛攻に耐え「5日で落ちる」という米軍の予想を大幅に
   覆し1ヶ月以上(36日間)に渡って持ちこたえ、上陸して
   きた米軍に大きな損害を与えた。硫黄島は大東亜戦争
   においてアメリカが攻勢に転じた後、日本軍が各地で
   敗退を続ける中、米軍の損害が日本軍の損害を
   上回った唯一の戦場である。乏しい装備と寄せ集めとも
   いえる兵隊たちを率い、これだけの戦いをすることが
   できたのは、ひとえに栗林の断固たる統率があったから
   である。硫黄島は米軍の中でも命知らずの荒くれ揃いで
   知られる海兵隊の兵士たちをして「史上最悪の戦闘」
   「地獄の中の地獄」と震え上がらせた凄惨な戦場。しかし
   ながら東京から南へ1250キロ離れた絶海の孤島である
   硫黄島は、はじめから勝つことも生き延びることもあり
   得ないとわかっていた絶望的な戦場であった。日本軍と
   米軍の戦力の差を見れば、万に一つも勝ち目はない。
   硫黄島の日本軍にはもはや飛行機も戦艦もなく、海上・
   航空戦力はゼロに等しかった。陸上戦力においても、
   日本軍約2万に対し、上陸してきた米軍は約6万。しかも
   後方には10万ともいわれる支援部隊がいた。日本軍の
   玉砕は自明のことであり、彼らは少しでも長く持ちこたえて
   米軍の本土侵攻を1日でも遅らせることがたった一つの
   使命だった。栗林はいわゆる万歳突撃を禁じ、徹底的な
   ゲリラ戦を繰り返し、最後には壮烈なる総攻撃を敢行し
   玉砕した。この辞世の句は最後の総攻撃に打って出る
   決意を固めた栗林が大本営に宛てて発した訣別電報に
   添えられていたものである。尚、訣別電報および栗林の
   辞世は新聞で報道されたが、最後の「散るぞ悲しき」は
   「散るぞ口惜し」と改変されて発表された。国のために
   死んでいく兵士たちを「悲しき」と詠うことは国運を賭けた
   戦争のさなかにあっては許されないことだったのである。